アイルランド
―国の仕組みと地方自治―

(財)自治体国際化協会 CLAIR REPORT NUMBER 082(MAR.25,1994)





 はじめに


第1章 国政の仕組み


第2章 地方団体の構造とその機能


第3章 欧州共同体(EC)等との関係








財団法人 自治体国際化協会
(ロンドン事務所)





目   次


 はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


第1章 国政の仕組み ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    1 国勢概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    2 憲法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    3 政党と政府 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    4 財政 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(参考) アイルランドの略史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


第2章 地方団体の構造とその機能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    1 地方自治制度の変遷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    2 地方団体の構造 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    3 地方団体の機能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    4 地方議会と議員 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    5 行政部門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    6 地方財政 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    7 最近の地方団体の改革 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


第3章 欧州共同体(EC)等との関係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    1 欧州共同体(EC)のアイルランド法制度に与える影響 ・・・・・・・・・・
    2 EC補助金等 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    3 ヨーロッパ人権裁判所との関係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 [参考文献] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



[図表その他]

 <参考> アイルランドの主要統計数値 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <図1> アイルランドの地方及び県(カウンティ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <図2> 地方財政の1992年経常会計における目的別支出の割合 ・・・
 <図3> 再編成前のカウンティ(ダブリン地域) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <図4> 再編成後のカウンティ(ダブリン地域) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 <表1>アイルランド下院の政党別議席数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表2> 1992年と1993年における国の会計総括表 ・・・・・・・・・・・・・・
 <表3> 1993年補正後予算における経常収入の内訳 ・・・・・・・・・・・・・
 <表4> 公共セクター全体の投資額とその財源総括表 ・・・・・・・・・・・・・・
 <表5> アイルランドの地方制度の変遷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表6> 地方団体の機能に係る分類区分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表7> 地方団体の経常会計の財源内訳 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表8> 地方団体の総支出の推移 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表9> ECからの補助金 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <表10> EC等への拠出金 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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は じ め に


 「怪談」の著者ラフカディオ・ハーンも、「ガリバー旅行記」のスウィフトも、アイルランド人だった。アイルランドは随分遠くの国だが、日本人に親しい顔ぶれが多い。気候は温暖だし、治安も良い。第1公用語はゲール語だが話せる人は少なく、英語が広く使われているので、我々にとって旅行がしやすい。
 北海道とほぼ同じ約7万平方キロ・メートルの国土に、わずか350万人の人々が住んでいる。小さな国だが、総兵力1万1千人の軍隊もあれば、公選で任期7年の大統領も置かれている。
 地方自治制度もとられており、県(county)が26、県と市の機能を併せ持った特別市(county borough)が5つある。県の下には6市(borough)、49町(urban district)、26自治区(town)が置かれている。県数の割には市町等の数が少ないが、これは市町等の存在しない地域があるためだ。市町等のない地域では、県が地方行政の全責任を持つ。

 アイルランド人は「我々は貧しい」と言う。確かに失業率は高いし、道路の整備も遅れている。しかし、アイルランドは自然の豊かな国である。国全体が公園のようだし、広い庭に囲まれた家々はどれも豪邸である。道路の整備は、補助率75%のECからの補助金を得て急速に進んでいる。
 あるアイルランド人に会ったら、70Oアイルランド・ポンド(約12万円)払ってゴルフの生涯会員権を手に入れたと言っていた。こんなことを聞くと、豊かさについて考え込んでしまう。

 自治省が企画する「地方公務員海外派遣プログラム」によって、19933年度から日本の地方団体職員がリムリック大学に半年間留学することになった。これを機会に、1993年7月に自治体国際化協会ロンドン事務所の横田、菅沼、藤井、笠谷、阪東がアイルランドを訪ね、現地調査を行った。その成果がこのレポートである。地方行政の相当部分が中央政府の規制に服していることもあって、国政の仕組みについても併せて触れている。
 このレポートが地方自治関係者の何らかのお役に立てれば幸いである。そして、我が国とアイルランドの自治体レベルでの交流が今後大いに進むことを期待したい。





第1章 国政の仕組み


1 国勢概要

   アイルランドは、アイルランド島の南部を占める26県(counties)(同島北東部6県は「北アイルランド」として英国の一部を構成している。)からなり、面積的には我が国の北海道とほぼ同じ大きさである。国土のほとんどは山や丘陵であり、台地型地形の間を多くの河川が流れ、大小約800の湖沼が散在する風光明媚な地勢である。気候は、メキシコ湾流の影響で高緯度にもかかわらず比較的温暖であるが、年間を通じて晴天は少ない。
 人口は約350万人で、国民の90%以上が敬虔なカトリック教徒であり、宗教が人々の生活に大きな影響を及ぼしている。国民性としては、一般に陽気で親切、親しみやすい反面、頑固で保守的とも言われている。
 主要産業としては酪農畜産業が挙げられるが、機械・化学工業等の製造業も盛んである。主要天然資源としては、鉛、亜鉛、泥炭を産出する。経済は歴史的に英国依存度が高い。近年は観光にも大きな重点を置いている。

<参考> アイルランドの主要統計数値


2 憲法

   アイルランドでは、1919年に第一次憲法が制定された。同憲法は、英国からの独立闘争の最中であったにもかかわらず、英国にモデルを求めていた。
 1922年に制定された第二次憲法は「アイルランド自由国憲法」と呼ばれた。同憲法は、上院(Seanad)、下院(Dail)の二院制議会と下院に対し責任を持つ内閣の設置を定めた。上院は、限定された選挙権者によって選ばれた議員と政府によって任命された議員で構成された。下院では普通選挙が実施され、かつ比例制が導入された。
 1937年に制定された現行憲法からは、英国王に対する宣誓やアイルランド総督等の英国と結びつきのある規定がすべて排除された。主権在民、大統領の公選、二院制議会、司法の独立について規定され、離婚の禁止等カトリックの倫理規範が大きな影響を与えている。

(1) 大統領

   大統領はアイルランドの象徴であり、儀礼上国を代表する。ただし、アイルランドの大統領は、アメリカの大統領のように政府を代表するものではないし、英国の国王のように政府の権限の根源となるものでもない。アイルランドの大統領は、国民と憲法の保護者として認識され、その権限は消極的なものに限定されている。
 大統領の任期は7年で、1回だけ再選が認められる。今日まで、政党間の合意によって無競争で大統領が当選したことが4回ある。最近の選挙は1990年に実施され、メアリー・ロビンソン(Mary Robinson)が第7代大統領に就任した。

大統領の権限
 国民と憲法の保護者である大統領には、次のような権限が与えられている。
 大統領は、法案が憲法に違反すると考える場合、最高裁の審査に付すことができる。
 大統領は、法律の署名権を有するとともに、上院の過半数の議員と下院の3分の1を超える議員が大統領に対して法案に署名する前に国民投票を実施するよう求めた場合、大統領はそのように決定することができる。
 大統領は議会を召集する。また、下院の解散は、首相の助言に基づき、大統領が行う。大統領は、首相が下院の信任を失ったと判断した場合、解散を拒否し、下院に別の首相を選任する機会を与えることができる。なお、形式的には首相の任命権は大統領にある。
 大統領は、形式的には国軍の最高司令官である。

(2) 上院

   上院は60名の議員で構成され、法案の修正等の限られた機能のみを持つ。予算に関連した権限はほとんどない。上院は、下院議員が引退した場合や落選した場合に、ポストを提供するため利用される。

上院議員の選任
 上院議員は次の方法で選任される。
 首相任命……11名
 ダブリン大学及び国立アイルランド大学卒業生による選挙……それぞれ3名
 次の5つの分野の専門家を国会議員、県会議員及び特別市会議員が選挙……文化教育:5名、農業:11名、労働:11名、工業商業:9名、行政:7名

(3) 下院と内閣

   内閣は、7名以上15名以下の国会議員によって構成される。首相、副首相及び大蔵大臣は、下院議員でなければならない。他の大臣のうち2名までは上院議員でもよい。
 内閣は、下院に対してのみ責任を負う。
 下院議員数は166名、全国が41の選挙区に分割されている。選挙区の数は、人口の変化を考慮して、最低12年間に1回は改正されなければならない。
 下院議員の任期は最長5年である。

下院議員の選挙
 アイルランドの下院議員選挙は、中選挙区・単記委譲式投票制度を採用している。各選挙区では、3名ないし5名の議員が選出される。有権者は、順位を付して1名ないし全部の候補者に投票することができる。当選するためには、次の算式で求められる票(クオータ:quota)を獲得しなければならない。

   有効票に記載されている第一順位の投票を集計した結果、ある候補者がクオータ以上の票を獲得した場合、当該候補者は当選する。当選者のクオータを上回る余分な票は、第二順位者に配分され、クオータを獲得した者が当選者となる。この段階でも全議席が埋まらない場合、最低得票者は失格し、その票は他の候補者に配分される。すべての議席が埋まるまでこのような作業が続けられる。




3 政党と政府

   1921年に英国政府は、当時アイルランドの最大政党であったシン・フェイン党(Sinn Fein)とアングロ・アイリッシュ条約を締結した。同条約はアイルランド議会で激しい議論の末64票対57票で承認されたが、シン・フェイン党は2つに分裂した。
 1922年に総選挙が行われ、議会では条約支持派が多数を占めたが、その12日後に市民戦争が起こった。1923年5月に戦争は終わったものの、反条約派は政府の合法性を認めようとはしなかった。
 1923年4月、条約支持派はコマナグレイル(Cumann na nGaedheal:ゲール同盟)を結成し、同年8月の選挙では63議席、総投票数の39%を獲得した。一方、反条約派はシン・フェイン党を名乗り、44議席、総投票数の27%を得た。
 コマナグレイルは1932年まで政権を維持した。同党の基本政策は自由貿易であった。1926年当時、アイルランドからの輸出の97%は英国に対するものだったのである。
 1926年に、反条約派の指導者、デバレラ(de Valera)はシン・フェイン党を脱退し、フィアナ・フェイル(Fianna Fail:運命の戦士)を結成。1927年6月の選挙では44議席を獲得。シン・フェイン党は5議席を獲得したに過ぎなかった。フィアナ・フェイルは保護貿易を主張し、小規模農業者、農業労働者、小規模企業主など、隣国大英帝国から国内市場を保護することを希望する人々の支持を得た。特に1920年代末の世界的経済不況の中で支持を集め、1932年に初めて政権を獲得した。以後1948年まで政権を維持し、あらゆる階層の人々の支持を集めるに至った。
 一方、コマナグレイルは、1933年にフィナ・ゲイル(Fine Gael:人民党)と改名した。
 1948年にはフィアナ・フェイルの長期政権が終わりを告げ、1948−51年及び1954−57年の2回にわたってフィアナ・フェィルを除く連立政権が樹立された。これは、経済危機に直面し、国民が長期政権に飽きたためである。しかし、経済政策を大転換させたのはフィアナ・フェイルであった。同党は、1957年に政権に返り咲き、関税の引下げ、外国資本の導入など自由貿易に政策を転換した。その結果、生活水準が上昇し、失業率、外国への移民がともに減少した。同党は、その後16年間政権の座を維持した。この間に政党数は7党から3党にまで減少した。
 1973年の総選挙では、このままでは政権を獲得できないと悟ったフィナ・ゲイルと労働党が選挙協力した。その結果、両党は下院議員の選挙制度に助けられ、得票率は減少したものの議席数を増加させ、政権を獲得するに至った。
 1977年選挙では、フィアナ・フェイルが巻き返しに出た。同党は、若者に焦点を絞り、減税と雇用の創出を公約し、若者の支持を獲得した。アイルランドは若者の国であり、人口の50%は25歳以下であった。同党は、有効票の50%以上を獲得し、政権に返り咲いた。
 この結果、フィアナ・フェイルは再び長期政権に就くかと思われたが、この予想は裏切られた。北アイルランドの緊張の高まりに注目した党首のホーヒー(C. Haughey)は、南北の統一を主要課題として取り上げたが、実現できず、国民の信頼を失った。一方、フィナ・ゲイルは、経済問題を取り上げ、国民の支持を集めた。1981年選挙では、フィナ・ゲイルは65議席、労働党は15議席を獲得して連立政権を組んだ。フィアナ・フェイルは78議席に止まり下野した。この政権は1982年2月まで続いた。
 1982年2月の選挙では、わずか3議席を増やしたフィアナ・フェイルが、勤労者党(Workers Union)等の支持を得て、同年11月まで政権を維持したが、福祉経費の削減に反対した勤労者党が離反したため、短命に終わった。
 引き続く選挙では、フィナ・ゲイルと労働党が再び連立政権を組んだ。
 1982年11月の下野後、フィアナ・フェイルではホーヒー党首への批判が強まった。ホーヒー党首の離婚禁止等の古い倫理観や大きな政府指向に反対したオマーリ(Omalley)と7人の党員は、フィアナ・フェイルから離れて進歩民主党(Progressive Democrats)を結成した。同党は、ヨーロッパの政党の中では右派といえる。しかし、アイルランドでは、同党の社会問題に対する考え方はラディカルだと言われている。
 1982年以降、国会で一番議論されたのは経済問題である。フィナ・ゲイルと労働党の連立政権は、外国からの借入を減らそうと努めたが、これは失敗に終わった。インフレ率は大幅に切り下げられたが、失業率は急増し、外国への移民が増えた。1987年には、フィナ・ゲイルは緊縮予算を編成したが、福祉予算の削減に労働党が反対したため、連立政権は崩壊し、総選挙が行われた。この選挙では、フィナ・ゲイルは緊縮予算の実現を目指し、進歩民主党は民営化、福祉予算の削減及び減税を主張した。フィアナ・フェイルは、フィナ・ゲイルの予算の90%には賛成であったが、特定地域の経済発展と雇用創出のための投資及び福祉予算の確保を主張した。労働党は、福祉予算の維持と農業者、自営業者に対する増税を求めた。
 同年に行われた総選挙では、フィアナ・フェイルは過半数を獲得でぎなかった.しかし同党は、歳出と借入を削減することでフィナ・ゲイルと合意し、組閣することになった。
 1989年にホーヒーは総選挙を行ったが、選挙前の圧倒的勝利を得るだろうとの予想に反し、敗北を帰した。フィナ・ゲイルと進歩民主党は選挙協力したが、両党合わせても過半数は取れなかった。左翼政党といわれている労働党と勤労者党は、連立政権に参加することを拒否したため、数週間にわたって不安定な状態が続いた後、6月にフィアナ・フェイルと進歩民主党は連立政権を作った。1992年2月にホーヒー首相は辞任し、レイノルズ(Reynolds)が首相に就任したが、牛肉業界の政治献金スキャンダルを巡る閣内対立を契機に同年11月に連立は解消された。
 1992年11月の総選挙では、フィアナ・フェイルは過半数獲得に失敗したものの、人事面及び政策面で労働党に大幅に歩み寄り、1993年1月に第二次レイノルズ内閣が成立した。

アイルランドの政党の特徴
 ヨーロッパの政党は言語、宗教、社会階級等を基盤としているが、アイルランドの政党にはこのような基盤はない。アイルランドが独立した当時、まだ工業が未発達だったためプロレタリアートは存在しなかった。今日でも他の国のような資本家と労働者の対立はない。北アイルランドには多くのプロテスタントが住み、その他のアイルランドでは住民の90%以上がカトリックだが、独立に当たって北アイルランドが分離されたため、アイルランドには宗教的対立は存在しない。アイルランドの第1公用語はゲール語だが、ゲール語を日常話す人はごく少数であり、英語が広く使われている。したがって、言語による対立もない。国民が純粋に政策によって支持政党を決めるところにアイルランドの政党政治の特徴がある。なお、1912年に設立されたアイルランドの労働党は、ヨーロッパ諸国の類似の政党とは異なり、社会主義革命を目指す政党ではない。支持母体は個々人でありその政策は中道やや左寄りといわれている。ちなみに、現在のアイルランド下院の議席は、表1のように構成されている。

<表1> アイルランド下院の政党別議席数


4 財政

   大蔵大臣は、1993年2月23日の予算説明で「雇用を創設し、失業問題を克服することが当面最も重要な課題」と強調している。アイルランドの最大の課題は、ヨーロッパの中でも最も高い失業率(16%以上)の克服である。財政赤字も大きな問題だったが、引き続く財政引締めと増税によって削減されつつある。
 国の会計は、経常会計と資本会計に分かれている。1993年の補正後予算において、経常会計の総支出額は10,483百万ポンド(1兆7,820億円:「ポンド」はアイルランド・ポンドを意味し、1ポンド=170円で計算。以下すべて同様)、総収入額は9,958百万ポンド(1兆6,930億円)となり、525百万ポンド(890億円)GNP対比で2.O%の歳入欠陥が出ている。資本会計を見ると、総支出額は2,390百万ポンド(4,060億円)、総収入額は2,149百万ポンド(3,650億円)となり、241百万ポンド(410億円)の歳入欠陥が出ている。以上の結果、借入総額は766百万ポンド(1,300億円)、GNP対比2.9%となっている。

<表2> 1992年と1993年における国の会計総括表(単位:£m)

   1993年補正後予算における経常会計の主な支出は、教育・社会福祉・住宅・健康等の社会サービス(総支出の57.9%)、利子支払い(17.4%)、防衛・警察・司法等の安全行政(7.2%)、農林・漁業・観光等の経済サービス(7.1%)の順である。ECに対する拠出金は388百万ポンド、総支出額の3.O%(GNPの1.5%)と意外に大きい。
 経常収入の95.3%は税収入である。所得税、付加価値税及び物品税で税収入全体の81.3%を占めている。所得付加税(Income Tax Levy)は、所得税の増税に代えて暫定的に所得に対し一定率の課税を行うものである。税外収入は、利子収入、中央銀行余剰、宝くじ収入等である。

<表3> 1993年補正後予算における経常収入の内訳


   最後に、公共セクター全体の投資額とその財源について見ることにする。
 表4によれば、1993年度において、公共投資計画に基づく支出額2,323百万ポンド(3,950億円)、公共投資計画外の支出額(国際機関への出資額等)67百万ポンド(110億円)、合計2,390百万ポンド(4,060億円)の資本支出が予定されている。
 公共投資計画に基づく支出額のうち1,008百万ポンド(1,710億円)は国が負担し、1,315百万ポンド(2,240億円)は国の財政援助団体や地方団体が財源を負担する。国が直接財源を負担する事業のうち、かなりの部分は環境省を通じて地方団体の行う道路建設、上下水道の整備に補助金として交付される(ちなみに1992年度の地方団体の資本支出額の42%は、国からの補助金で充当された)。国が財源を負担しない事業については、国の財政援助団体や地方団体が独自の財源を調達する。
 同表によれば、国は、資本支出等のために1,600百万ポンド(2,720億円:1(1)+2)を調達しなければならない。国は、その財源として貸付金返済等(4(1))、EC補助金(5(1))及びその他の借入金(9)を予定している。一方、国の財政援助団体や地方団体の実施する事業の総額は1,315百万ポンド(1(2))である。これらの団体は、独自財源(4(2))、EC補助金(5(2))及び借入金(8)をその事業に充てることとしている。

<表4> 公共セクター全体の投資額とその財源総括表(単位1£m)





(参考)アイルランドの略史


   アイルランド全島の面積は約8万4千平方キロメートルで、その北東部約1万4千平方キロメートル(人口約157万人)が英国の一部「北アイルランド」である。アイルランドの政治・社会情勢及び英国との関係を理解するためには、歴史を概観する必要がある。
1 中世までのアイルランド

   キリスト教が伝えられる前のアイルランドは、ケルト系ゲール人の住むゲール社会であった。ゲール社会は血族共同体をその単位とし、弱小部族がより強大な部族に従属し貢納するという部族貢納制に基づき、汎神論的な古代信仰に支えられていた。
 帝政ローマ軍の侵略は経験しなかったアイルランドであるが、キリスト教の洗礼は大いに受け、この国のその後の歴史に深甚な影響を残すことになった。紀元5世紀、聖パトリック及び彼の後継者による精力的な布教活動は大成功を収めた。彼らはゲールの伝統を利用し、部族長の庇護を得て部族単位での改宗を促したため、キリスト教は平穏かつ急速に広まった。そして多くの修道院を建設し、多数の修道士を育成した。紀元6世紀から8世紀にかけては、まさにアイルランド修道院の黄金時代であり、同島は「聖者と学者の島」として知られ、逆にアイルランド修道士がスコットランド、イングランド、さらにヨーロッパ各地を布教して回った時代であった。俗権から超越し、修行の厳しいことで知られる彼らの信仰は「ケルト教会」と呼ばれた。

 8世紀末からアイルランドは、北方のゲルマン人、デーン人(ヴァイキング)の侵入をたびたび被ることになるが、デーン人が商業目的をもって建設・維持した沿岸諸都市を除けば、その侵攻をよく防ぎ、ついに彼らに支配されることはなかった。
 しかし、その後12世紀に至り、イングランド出身のローマ教皇ハドリアヌス4世は、イングランド国王ヘンリー2世にアイルランドの領有を認める勅書を下付し、ローマ教会的秩序を確立し、教皇への献金を確保するよう求めた。これを受けて1171年、ヘンリー2世は軍勢を率いてアイルランドに遠征し、占領した地域を配下のノルマン貴族に授封するとともに、デーン人の建設した重要な都市は自らの直轄地とした。現地諸王侯の帰順も得たヘンリー2世は、アイルランド大守となった。この後、ノルマン貴族はアイルランドに殺到し、各地を切り取って定着していった。13世紀にはマグナ・カルタがアイルランドにも適用され、ノルマン貴族のための二院制議会も開設された。こうしてイングランドのアイルランド植民地化の歴史が始まった。

2 宗教を巡る争い、植民そして併合

   王権から遠く、主として現地に定着しゲール化したノルマン領主、すなわちアングロ・アイリッシュ貴族が支配するアイルランドの政治及び経済に劇的な変化が訪れたのは、バラ戦争の内乱期を経てテューダー朝以後の時代であった。イングランドで絶対王政が一応の達成を見た16世紀前半、国教会の創設者としても知られる時のイングランド国王ヘンリー8世は、アイルランド再征服の事業に着手し、当地最大の封建領主でヨーク派のキルデア伯家を倒した。1536年にダブリン議会は修道院の解散、財産没収等イングランド国内と同様の宗教改革を決定するとともに、翌年ヘンリー8世の国王至上権を承認した。1541年、同議会はヘンリー8世にアイルランド国王の称号を贈り、ここに彼は全アイルランドの正式統治者となった。そして、領地を献上させた上で再授封する方法によってゲール諸王侯をも自らの家臣として従えることに成功した。

 ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、父王のアイルランド強権支配の企てを引き継いだ。また、彼女の場合、当時の強大国スペインを主とする反英カトリック勢力の圧力に対抗し、自国の安全を確保する必要にも迫られていた。カトリック勢力は、しばしば北東部のアルスター地方を中心にアイルランドを反英行動の戦略拠点とすることが多かった。このため彼女は、武力を背景にカトリックの弾圧及び土地の収奪という徹底した強硬策を用いることにより、アイルランド支配を確かなものにしようと考えた。1560年、ダブリン議会に強いて「国王至上法」(国王を国教会の地上における唯一最高の首長とするもの)及び「礼拝統一法」(英語による共通祈祷書の使用等を強制するもの)を成立させた。同時に女王は、アルスターの諸ゲール領主と戦い、マンスター反乱の鎮圧など数々の戦闘を継続し、最後のゲール領主ヒュー・オニール、ヒュー・オドンネルを屈服させることにより、ついにアイルランド全土の制圧に成功した。イングランドの法と慣習が全島に施行されてゲールの氏族制が破壊されるとともに、土地は没収され、多数の入植者が送り込まれた。
 続くスコットランド王家ステュアート家出身の国王ジェームズ1世の時代にも入植政策は継続され、イングランド及びスコットランドからアルスター地方(9県からなり、うち6県が現在の北アイルランド)に計画的かつ大規模な植民が実施された。英語を話すプロテスタントの社会が丸ごと移植され、多くのアイルランド人は西へ移住させられた。
 1640年代に入るとアイルランド各地で反乱が起こり、プロテスタント入植者が襲撃されるという事件も頻発した。1649年、ピューリタン革命の最終段階にあったクロムウェルは、議会軍を率いてアイルランドに上陸、神の命ずる使命であるとしてカトリック・アイルランドに対して史上悪名高い虐殺を行った。反乱鎮圧後制定されたアイルランド土地処分法に基づき、ほとんどの地主が反共和国的であったとの理由で西部の荒れ地に追放され、新たに議会軍将校等共和派プロテスタントが多くの没収地を手にした。併せて、ダブリンの議会は廃止された。

 さらに、名誉革命によって追放されたカトリック王ジェームズ2世が復位を目指しアイルランドのカトリック勢力と連携してアルスターで反乱を起こしたが、プロテスタントの新国王ウィリアム3世が自ら1690年のボイン河の戦いでこれを打ち破った。こうしてプロテスタント(国教会)がオールド・イングリッシュを含めたカトリックを支配する社会構造が決定的となり、アイルランドは完全に植民地化された。
 1692年以降制定実施された一連の異教徒刑罰法は、カトリック聖職者の登録制導入、国会議員の選挙・被選挙権の剥奪、行政機関・軍隊・法曹界への就職制限、新規土地売買・借地契約の禁止等あからさまなカトリック差別を内容としていた。学校は国教会の監督下に置かれ、カトリックは学校を開くことも教師になることも禁じられた。カトリックとプロテスタントの通婚は原則として禁じられ、カトリックの場合、財産は子供に分割相続されねばならなかった。こうして、18世紀を通じてカトリックは職業・経済活動上に厳しい制約を課され、貧窮化せざるを得ない事態に追い込まれた。また、プレスビテリアン(長老派)等国教徒以外のプロテスタントも差別と無縁ではなかった。18世紀以降アイルランドから新大陸アメリカへと大量の移民者が渡ったのは、以上のような宗教差別及びこれに伴う貧困があったからである(なお、移民の直接的原因としては、18世紀と19世紀に発生した大飢饉も大きかった。いずれにしても、アイルランドは19世紀中葉以降、実に1世紀以上にもわたり大幅な人口減少を経験したのである)。

 アメリカ13植民地の独立は英国政府に帝国政策の再編を迫った。アイルランドにあっては、指導者グラタンの活躍もあって1782年に「グラタン議会」と通称されるアイルランド議会が復活し、プロテスタント地主階級の利益のみを代表したことは否定できないものの、内政問題について事実上の自治権を行使することを可能にした。
 他方、フランス革命の衝撃及びその民権思想は皮肉な影響を与えた。18世紀末アイルランドの全宗派の統一及び民族の団結を求める「ユナイテッド・アイリッシュメン」が組織され、フランス政府の後押しもあって1798年各地で蜂起したが、ことごとく失敗に帰し、逆に宗派間の一層の断絶、対立と抗争をもたらす結果となった。対仏戦争遂行の必要もあって1801年、アイルランドは再び議会を廃止された上、正式に英国に併合され、以後ウェストミンスターの英国議会に代表を送るだけの存在になってしまった。

3 民族運動と独立、北アイルランド問題

   19世紀から20世紀にかけて、アイルランドは自由と独立を求めて激動する。19世紀前半のアイルランドの政治家ダニエル・オーコンネルは、カトリック農民を組織して非暴力主義的な運動を指導し、1829年にはカトリック教徒解放法を勝ち取った。また、オーコンネルの運動にもの足らない人々は、より急進的な組織を結成して実力行使も辞さない激しい闘争を展開した。なお、19世紀末にはゲール文化復興運動が始まり、アイルランド人の民族の誇りを呼び覚まし、青年を独立運動に駆り立てる役割を果たした。
 19世紀後半の政治的指導者チャールズ・パーネルは、自治の獲得を目指して合法的な院内活動を行うとともに、小作人の権利拡大を求める院外闘争も指導した。1880年代以降何度か内政自治法案が英国議会に上程され、ついに1914年に成立したが、折からの第1次世界大戦勃発のために施行が延期された。この間も独立を求める過激な院外実力闘争は、その激しさを増す一方であった。

 1916年のイースター(復活祭)にダブリンで独立を求める蜂起が起きた。蜂起自体は失敗に終わったが、指導者16名に対する銃殺刑執行がアイルランド人一般の愛国感情に火を付け、武力闘争を伴う独立運動に広範な支持を与える結果となった。1918年の総選挙で急進的なシン・フェイン党が勝利したが、同党はウェストミンスターの英国議会をボイコットした。また、イースター蜂起を契機に結成されたシン・フェインの軍事組織IRA(Irish Republican Army;アイルランド共和国軍)の武力闘争が激化、武装警察・軍隊との間で激しい衝突を繰り返し、あたかも独立戦争の観を呈するに至った。ここに英国政府も譲歩を余儀なくされた。

 1920年、アイルランド統治法により、アルスター地方9県中植民の成功しなかった3県を除き、プロテスタントが多数派である残り6県の区域をもって北アイルランドが成立し、1921年には北アイルランド議会が設置された。同年に休戦が成立、シン・フェイン党との間でアングロ・アイリッシュ条約が締結され、翌1922年、カナダ、オーストラリア及びニュージーランドと同様の地位を有する自治領としてアイルランド自由国が発足した。こうして南北アイルランドの分断が固定された。
 1937年、アイルランド自由国は完全な内政自治権を獲得するとともに、英国王への忠誠及び総督の存在を否定する事実上の共和国憲法(なお、憲法上、国土はアイルランド全島と規定している)を制定し、国名をゲール語の「エール」(英語で「アイルランド」)と定めた。1949年には英連邦から離脱して名実ともに共和政体の完全独立国となった。第2次世界大戦にあっては中立を維持し、現在もNATO(北大西洋条約機構)には参加していない。国際連合に1955年、EC(欧州共同体)には1973年に加盟した。

 周知のとおり、現在までアイルランド最大の懸案は北アイルランドの帰属問題である。この件に関する英国政府の立場は現地住民多数派の意向を尊重するというものであるが、北アイルランドの宗派構成は、過去の相次ぐ植民の結果、親英派プロテスタントが多数を占めるに至っている。大雑把にいってプレスビテリアン、アイルランド教会(英国教会)等を合わせたプロテスタント連合勢力が3分の2、カトリックが3分の1であり、多数派である前者は現状維持を希望し、少なくともアイルランドの再統一を望まない。そもそも住民構成が既にそうであったからこそ、先の分断統治が採用されたのである。

 ところで、1921年以来北アイルランドでは社会政策、選挙制度等の面であからさまなカトリック差別が実施されていた。これを改めようと始まった公民権運動が1969年にデモ隊と警官隊の実力衝突を引き起こし、以後運動が過激化するとともに、カトリックとプロテスタントの対立が尖鋭化した。IRAがカトリックの非合法武装組織として活動を再開し、プロテスタント側も軍事組織を発足させた。北アイルランド政府が英国軍隊の駐留を認めたため、やがてカトリック軍事組織、プロテスタント軍事組織、英国軍隊及び北アイルランド警察の三巴の激しい実力抗争を生ずるに至った。事態の急迫悪化を受けてついに1972年、英国政府は北アイルランド政府の権限を停止して直接統治に乗り出し、1973年には北アイルランド議会も廃止されて現在に至っている。
 なお、現存のIRAは、アイルランド自由国の発足に当たり北の分離を巡って分裂したかってのIRAの分派のうち、当時反条約・反自由国派の立場で統一アイルランドの独立を主張した組織を源流とする。アイルランドの再統一及び英国からの政治・経済的な独立を掲げるシン・フェイン党の武装組織として武力闘争至上主義に立っており、英国本土を含む各地での爆弾テロ闘争を強化している。

<図1> アイルランドの地方及び県(カウンティ)<北アイルランドを含む>





第2章 地方団体の構造とその機能

1 地方自治制度の変遷

   アイルランドの地方制度は、表5に示すとおり1898年地方自治法(アイルランド)による地方団体の見直しによってその根幹が確立した。すなわち、英国政府によってその基本的な部分が作られ、それが今日まで存続している。

<表5> アイルランドの地方制度の変遷


2 地方団体の構造

   アイルランドの地方団体の構造は、次に示すとおり原則として二層制であるが、日本や英国のそれとは異なる。相違点は、カウンティの下位の団体がそのカウンティの全域には存在しないことである。
 カウンティの下位団体が存在しない地域の行政はカウンティが責任を持つ。カウンティの下位団体には固有の機能というものはなく、カウンティから委任された業務のみを行う。


   地方団体の他に、地域住民や地方団体の業務に関係する組織として、地域保健委員会、地域開発局、地域観光局等がある。これらの組織は、通常いくつかのカウンティを対象としたより広い地域で業務を行っている。
 地域保健委員会は、1970年保健法により、全国に8つの委員会が設置された。
 委員会は、従来地方団体が行っていた保健業務を引き継ぎ、さらに病院・保健所・予防衛生等に関する業務も行うこととなった。地方団体が運営していた病院もすべて委員会に引き継がれた。委員会はカウンティとカウンティ・バラの代表及び医師・医療技術者等によって構成され、委員の数は27名ないし35名である。これらの構成員のうち3名は保健大臣によって指名される。委員会は、地方団体の業務を引き継いだ点、その業務が地域住民と密接に関係していること等から、地方団体の一部であると見られている。

3 地方団体の機能

   アイルランドの地方団体には当初から学校教育と警察に関する権限が除かれているなど、多くの国で地方団体が実施すべきものと考えられている業務を政府が所掌している。地方団体の機能は、日本の地方団体と比較してかなり限定されている。
 加えて、管理職員に係る給料及び勤務条件、給与の等級格付けに必要とされる資格要件、定員、懲戒の方法、資本支出、支出見込み(議会が予算を決定する際には、議員及び有識者からなる支出見積委員会で決定された支出見込みの範囲内で行うことが義務づけられている。)を超える支出、条例の制定等の多くの事項が大臣の承認を要するなど、政府による多くの規制が存在する。
 地方団体の機能は、全地方団体共通のものとして次の8つに分類されている。

<袤6> 地方団体の機能に係る分類区分

   カウンティは、区分1から8までのすべての地方団体の機能を有している。カウンティ・バラも、下位団体がないため、カウンティと同様に区分1から8までのすべての地方団体の機能を有する。
 カウンティの下位団体(バラ、アーバン・ディストリクト及びタウン・コミッショナ−)は、カウンティ(上位団体)から委任された業務を行う。カウンティは、下位団体の財政状況に応じて業務を委任する。このため、同種の下位団体同士で機能が異なることがある。
 カウンティが下位団体に業務を委任した場合は、カウンティはその下位団体の地域ではそれらの業務を行わない。したがって、カウンティは、下位団体の有無ないし委任の内容によってその機能が異なることとなる。ただし、消防業務についてはほとんど、図書館については専ら、カウンティがサービスを提供している。
 タウン・コミッショナーは、もともと小さく財源が限られているため、その機能は他の団体と比べて極めて少なく、区分1のうちの公営住宅の管理に関する業務と、区分6と8の業務しか行っていない。
 区分7の機能のうち職業訓練教育委員会は、法律によってすべてのカウンティ及びカウンティ・バラと7つのバラ及びアーバン・ディストリクトに設置が義務づけられており、職業訓練校の設置・管理運営を行う。職業訓練教育委員会は、チーフ・エグゼクティブ・オフィサーと呼ばれる事務総長により運営され、政府の教育省が委員会を直接監督し、業務に係る補助金を交付する。


4 地方議会と議員

(1) 地方議会

   議会は毎年開催しなければならない。開催の回数や手続きは法律で定められ、地方団体は、それに則って議事規則を定める。
 すべての議会は、予算のための議会をそれぞれ年1回開催しなければならない。カウンティの場合には最低でも年4回の議会と議長選出のための議会が、カウンティ・バラ及びバラの場合は年4回の議会開催が、それぞれ必要とされる。アーバン・ディストリクトとタウン・コミッショナーは、月1回議会を開催しなければならない。各地方団体ともに、議長又は一定数以上の議員の要求により、特別議会を開催することが可能である。採決は多数決によって行われる。
 議会の下に委員会があるが、英国と比較しその権限は小さく、単に助言を行うだけで、政策決定に関する権限はない。

 議会の権限は、予算の採択、レイト(地方税)の額の決定、借入金の決定、開発計画の策定及び変更、条例の制定及び改廃、マネージャー及び行政部門の管理監督(職員数及び給与管理を含む)等となっている。
 地方団体の運営自体はマネージャー(本章の「5 行政部門」を参照)が行うため、議会はそれが適正に運営されているかどうかを監視する。議会は、マネージャーを休職させ、あるいは環境大臣の同意を得て罷免することができる。また、マネージャーに対してその業務に関する情報の提供を要求できる。
 議員は無報酬であるが、旅費は支給される。議長は議会が決定した報酬を受け取ることができる(ダブリン市の議長の場合、報酬は年間1万9千ポンド(約320万円)で、交際費は3万ポンド(約510万円)までとなっている)。

(2) 地方議会議員選挙

   選挙人の資格は、18歳以上で、かつ、毎年4月15日現在で作成される選挙人名簿に登録された当該地域の住民である。なお、国籍は問われない。
 被選挙人の資格は、18歳以上であって、かつて地方議会議員で不正を犯したため刑務所に服役した者もしくは現在服役中の者又は有罪判決を受けた者でないことである。現役の軍人は立候補できない。国家公務員及びある一定の役職以上の地方公務員については、立候補はできるが、当選した場合その職を退かなければならない。
 選挙は、下院議員の選挙とほぼ同じ仕組みで5年ごとに行われる。ただし、国会両院が承認した環境大臣命令により選挙は延期できる(過去に何度か行われている)。法律によって6月に投票を行うことが定められており、投票日は環境大臣が決定する。
 供託金は、カウンティ及びカウンティ・バラの選挙の場合10ポンド(1,700円)、それ以外の地方団体の選挙の場合は5ポンド(850円)である。
 選挙区は、すべてのカウンティ、カウンティ・バラ及びバラ並びに規模の大きい4つのアーバン・ディストリクトにおいては、環境大臣により複数の選挙区に分けられる。小さなアーバン・ディストリクトやタウン・コミッショナーの選挙区は1つである。

 地方団体の種類ごとの議員数(1993年現在の地方議会議員総数は1,618名)は、次のとおりである。


   最近の地方議会議員の選挙としては、カウンティとカウンティ・バラの選挙が1991年6月27日に実施された。883議席に対して1,974名の立候補があり、投票率は55.1%であった。バラ、アーバン・ディストリクト及びタウン・コミッショナーの選挙は、政府による構造改革(カウンティの上にリージョン(Region)を創設し、カウンティの下位の団体を廃止するというもの)の検討結果が出るまでは延期され、現職議員の任期が自動的に延長された。


5 行政部門

(1) マネージャー

   行政部門の長は、カウンティにおいてはカウンティ・マネージャー、シティ(カウンティ・バラ)の場合はシティ・マネージャーと呼ばれる(なお、ダブリン市をはじめ一部の都市団体の議長は「市長」と呼ばれるが、その地位は儀礼的なものに止まる)。
 カウンティ・マネージャーは、当該カウンティの下位団体のマネージャーも兼ねる。英国でいう事務総長(チーフ・エグゼクティブ)よりその権限は強大である。一般的に地方制度は英国の影響を受けているが、このマネージャー制はアメリカの制度の影響を受けており、アイルランド独自のものである。
 マネージャーは、政府から独立した中央機関である地方指名委員会から推薦され、その後議会の承認を得て初めてその職に就くことができる。マネージャーとして推薦されるためには、地方団体での長い勤務経験及び幅広い知識等が要求される。
 マネージャーの任期は7年であるが、辞職もしくは65歳の定年を迎えるか、環境大臣の同意を得て議会が解職する以外は原則としてその職を退かない。
 複数のカウンティにわたる一部事務組合の長については、環境大臣が構成カウンティのマネージャーの中から指名する。
 マネージャーの主な権限としては、職員の採用、入札の実施、財産の管理、家賃及びレイトの徴収、地方団体の管理運営の総括等が挙げられる。
 マネージャーは自ら議会に出席でき、時には出席を求められるが、採決に参加する権利はない。また、業務に関連する情報や議会から要求された資料を提供しなければならない。
 マネージャーは行政部門の長として絶大な権限を持つことから、その専制が起こらないように、例えば職員数や給与額の変更については議会の承認を必要とするなど、議会はマネージャーを監督する。

(2) 職員

   現在約2万6千人の職員が地方団体に勤務している。そのうち約9千人が管理職・事務職・技術職である。技術職は、具体的には各種技師、建築家、図書館司書、弁護士、消防職員等である。彼らの勤務条件は基本的に同じであり、国家公務員と同様に安定した地位にある。
 職員も上位の管理職については、マネージャーと同じように地方指名委員会の実施する選考を経て指名される。内部から自動的に昇進することはない。他の職については、通常全国的に公募され地方でそれぞれ選考される。ただし、ダブリン市とダブリン・カウンティは例外であり、マネージャーを除く上位の職について、内部からそれに見合う経験や資格等を持つ人物を昇進させその職に充てている。
 残りの約1万7千人は現業職員であり、彼らの勤務条件は公的部門以外の同等職種と同じである。


6 地方財政

   地方団体の会計は、経常会計と資本会計の2つに分けられる。経常会計は、通常繰り返し発生する性格を持ち恒久的な資産価値を生み出さないものの会計である(住宅の維持管理、給与、年金等)。資本会計は、後世に残る資産の生産のための会計である(住宅建設、上下水道の施設等)。この分類には例外もあり、資本会計の性格を持つ施設のいくつかは経常会計により賄われている。
 アイルランドの地方団体の総支出は、GNPの約5%であり、アイルランドの公的部門の総支出の11%を占めている。

(1) 歳入

   地方団体の経常会計には、3つの収入源がある。商業用資産に係るレイト、政府からの補助金、使用料・手数料その他の収入である。
 1975年以来の各財源が地方団体の経常会計の歳入に占める割合の推移は、表7のとおりである。この表からも分かるとおり、1993年のレイトの歳入全体に占める割合は1975年のそれの約3分の2まで減少している。この主な理由は、農地や居住用資産に課されていたレイトが国へ移管され、商業用資産に係るレイトだけが地方税として残ったためである。
<表7> 地方団体の経常会計の財源内訳(%)

   資本会計は、政府が毎年作成する国・地方団体を含む公的部門の資本投資計画である公共投資計画(Public Capital Programme)に基づき、政府から地方団体に配分される特別補助金、借入金、使用料・手数料等を財源としている。

 レイト
 レイトの課税権は、タウン・コミッショナーを除くすべての地方団体に認められており、その税率はそれぞれの地方団体が定める。徴収については、下位団体がある場合、当該団体に徴収が委託される。
 すべての固定資産は、評価委員会(The Commission of Valuation)と呼ばれる政府の機関によって評価され、その評価額を基に税額が決定される。
 地方団体は、かつては地方税として居住用資産(住居)、農地、政府保有地等に対して課税する権限があったが、1978年には居住用資産に係るレイト、1983年には農地に係るレイトが廃止され、現在は商業用資産に限って課税することが許されている。
 政府からの補助金
ア)  特別補助金
 特別補助金は、経常会計及び資本会計ともに存在する。経常会計においては本章の「3 地方団体の機能」で説明した8つの分類の各目的に従い、資本会計においては公共投資計画の特定の目的のために、それぞれ交付され、地方団体にはどのように使うかの裁量はない。
イ)  一般補助金
 一般補助金は、政府所有の資産、居住用資産、農地に課すべきレイトの穴埋めとして政府より交付されるものである。この補助金は「レイト援助補助金」とも呼ばれるが、その交付水準は、地方団体の経済状態とは無関係に政府により決定される。
 一般補助金は、地方団体が自由に使い得るものであるが、実際には、政府やECによるサービス水準の引上げ規定などによって上下水道、ゴミ処理、消防等のサービス水準を引き上げなければならないため、地方団体の裁量の余地は非常に少ない。

 サービスの提供等による収入
 地方団体は、1983年地方自治法(財政条項)に基づき、提供するサービスについて料金(公営住宅家賃、住宅ローンの返済金、計画申請手数料、上下水道料金、ゴルフ場使用料、埋葬料、図書館使用料等)を課すことができる権限を与えられている。

(2) 歳出

   経常会計において地方団体が提供するサービスは、本章の「3 地方団体の機能」で説明したとおり8つに分類される。この分類によって、地方団体の会計処理や費用計算を改善し、財政管理や政策決定に必要な情報の仕分けを簡略化することが意図されている。経常会計における8分類別支出の割合は、図2のとおりである。

 資本会計は、経済投資、生産基盤、社会基盤の3項目に分かれる上述した公共投資計画に基づいて、政府の計画の下に支出される(例外として、社会基盤項目の住宅建設には、一部地方団体の裁量が認められる)。

 1984年以降の地方団体の総支出は、表8に見るとおりである。1993年における地方団体の経常支出の総額は1,065百万ポンド(1,810億円。以下いずれも見込み)、資本支出の総額は500百万ポンド(850億円)で、合計1,565百万ポンド(2,660億円)である。



<図2> 地方財政の1992年経常会計における目的別支出の割合(単位=%)



<表8> 地方団体の総支出の推移(単位:£m)



7 最近の地方団体の改革

(1) 地方団体の改革の経緯

   英国の統治に便利なように構築されたアイルランドの地方制度は、歴史的理由により、その発足時からかなり時代遅れの感があった。今日の地方団体の改革の視点が政府規制の緩和と地方への権限委譲などとなっているのもこうした理由による。最近20年間の改革としては、1970年代改革、1985年改革及び現在進行中の1991年改革がある。
 1970年代改革の主な内容の第1は、1976年までの間において、地方団体の保健業務等が地域保健委員会へ移管されたこと及び公営住宅に係る費用は国の補助金によって賄うとされたことである。都市近郊の小さなアーバン・ディストリクトでは、これらの経費負担が過度に財政を圧迫したため、財政上の救済を行う必要があったのである。第2は、1978年には居住用資産に係るレイト(地方税)を、続いて1983年には農地に係るレイトをそれぞれ廃止したことである。このことによって、レイトは商業用資産に対するものだけとなり、地方団体の財政の大部分は国の補助金に大きく依存することになった。
 1985年改革では、第1に、新たに地域のニーズに応えることができるよう慈善団体への援助など地域の振興に関する包括的な権限を地方団体へ付与し、権限の委譲を行い、及びウルトラ・バイアス原理(地方団体は、法律に規定されていないことを実施できず、それに違反した行政上の行為は無効とされる。)の緩和を行った。第2に、ダブリン・カウンティ等を再編成して新たに3つのカウンティを設置することとし、移行措置として、まず、それぞれの予定地方団体の区割りに対応した議会を設置することとした(これは1991年改革に引き継がれる)。

 1991年改革では、1991年3月に専門諮問委員会による地方団体の改革に関する報告書(議長がバリントン氏であったことから「バリントン提言」と呼ばれる。)が政府に提出され、それを受け政府は1991年地方自治法を制定した。現在、同法に基づく改革が進行中である。
 バリントン提言では、地方団体の改革が必要な理由として次の4点を指摘した。第1に、長年抜本的な地方団体の改革が行われなかったために議員の役割が衰退していることから、地方レベルでの民主主義を回復させ発展させる必要があること。第2に、アイルランドの地方制度は中央集権的であり、地方団体が住民に身近な存在となっておらず、かつ住民の要求に適切に応えていないこと。第3に、地方のリージョン(Region)、ローカル(Local)、コミュニティ(Community)の各レベルに、それぞれ独立した効果的かつ効率的な組織を作るという明確な住民のニーズがあること。第4に、政府と地方団体間の資源の最適な配分を求める住民のニーズがあること。
 1991年法の主な内容は、ダブリン地域の地方団体を再編成すること(1985年地方自治法による改革の継続)、8つのリージョンの設置の権限を環境大臣に与えたこと(現行のカウンティ及びカウンティ・バラの上に、新たな地方団体としてリージョンを設置し、地方団体の種類をリージョン、カウンティ及びサブ・カウンティの三層制として構築する。)、大臣の地方議員との兼職を禁止したこと(なお、国会議員の40%が地方議員を兼職しているが、兼職を禁止されたのは大臣だけである。)、カウンティ及びカウンティ・バラの議長には固定の手当を支給すること、タウン・コミッショナー間の姉妹交流についても正式に認知すること、カウンティ・マネージャー及びシティ・マネージャーの任期を7年とすること、ウルトラ・バイアス原理の緩和と地方団体への包括的な権限の委譲を行うことの7点である。

(2) ダブリン・カウンティとダン・リーリ・バラの再編成について

   従来から、人口、産業等のダブリン市(ダブリン・カウンティ・バラ)区域外への膨張等により、これら区域の行政を受け持つダブリン・カウンティとダン・リーリ・バラ(特にダブリン・カウンティ)において十分な行政対応が困難となり、従来の行政区域のあり方等の問題が指摘されてきた。その結果、1985年及び1991年地方自治法により、ダブリン・カウンティとダン・リーリ・バラについて次のような再編成が行われることとなった。

 まず、1985年地方自治法によって、ダブリン・カウンティ(図3:再編成前のカウンティを参照)を分割し新たな3つのカウンティを創設することを前提として、その選挙区が3つに分けられた。翌1986年にその新しい3選挙区で第1回目のカウンティ議会議員選挙が行われたが、新たな3つのカウンティはまだ設置されていないため、新しいカウンティ議員はダブリン・カウンティとダン・リーリ・バラのそれぞれの議会で活動することになった。

 1991年地方自治法によって、1994年1月から正式に「フィンガル」「サウス・ダブリン」「ダン・リーリ・ラスダウン」の新たな3カウンティ(図4:再編成後のカウンティを参照)を発足させ、ダブリン・カウンティとダン・リーリ・バラを廃止することにした。旧カウンティ及びバラに勤務していた職員は、新しいカウンティの発足時に新カウンティに配属されることになった。



<図3 再編成前のカウンティ>

<図4 再編成後のカウンティ>



(3) リージョン(Region)の設置について

   1991年地方自治法は、国とカウンティ(カウンティ・バラを含む)との間に「リージョン」という地方団体を導入することとしている。その狙いは、リージョンを設置して調整機能を付与することにより、行政サービスに係る地域間の格差を少なくし、住民に対する行政サービスの均一化・等質化を図ることである。
 同法は、リージョンに係る議会、所管区域、権限など具体的な内容は一切記述しておらず、単に導入するという方向を示しているのみである。リージョンと既存のカウンティとの権限の配分をはじめ、今後の法令の整備を待たなければならない。
 参考までに、バリントン提言では、リージョンについて2案を併記している。2案とも、全国を8つの地域に分割し、それぞれの地域にリージョンを設置するとしていることは同じである。そして第1案は、リージョンを、固有の選挙で選ばれた議員からなる議会によって行政を展開し、国とカウンティとの間に位置する全く新しい地方団体として位置づける考えである。第2案は、リージョンを、カウンティ間の調整を行う広域共同処理組織として位置づけ、カウンティの議員を構成員とする議会を持たせる考えである。
 また、政府は、リージョンの設置に関連してサブ・カウンティ(バラ、アーバン・ディストリクト及びタウン・コミッショナー)廃止の方針を発表した。サブ・カウンティは、本章の「2 地方団体の構造」で説明したとおり、すべての地域をカバーしておらず、全国民の約15%にだけサービスを提供している、というのがその理由である。

(4) ウルトラ・バイアス原理の緩和及び国から地方団体への権限委譲について

   地方団体は、そのすべての行為に関して法的な権限の裏打ちがなければならない。これがないとウルトラ・バイアスとなり、裁判所によって、当該行為の実行を停止あるいは禁止され、また、地方団体の監査人によって、損失を負うこととなったすべての支出が不承認とされ、その責任のあった職員に対して不当支出の賠償が求められることとなる。もしこのウルトラ・バイアス原理が厳格に適用されれば、地方団体は厳しい制約を受け、地方団体が行うと予想されるすべての行為に厳密な立法が必要とされることになる。そこで、この考えは裁判所よって修正され、単に法律に明示された範囲の行為に限らず、明らかに付随するものあるいは必然のこととして実施されなければならない行為は、すべて法が地方団体による実施を認めた行為と見做すものと判断されていた。
 1991年地方自治法では、この判例内容を明文化するとともに、次のように国から地方団体へ権限を委譲した。すなわち、他の法律で設置された機関の権限の行使を侵害しない限り、地域社会の利益を増進するための権限。ただし、大臣は、その実行に係る費用の最高限度額を示すとともに、地方団体が地域社会に約束することができない事項を指示する権限を保留、レクリエーション、スポーツ、文化、アメニティー活動などに対して援助する権限、情報サービスを提供する権限である。なお併せて、地域からの要望により、国の機関によって実施されている業務を地方団体の機能に移管する権限を政府に与えた。





第3章 欧州共同体(EC)等との関係


 アイルランドは、1973年1月に欧州共同体(EC)に加入してから、法制度、財政面で様々な影響を受けてきた。また、ヨーロッパ人権裁判所のアイルランド社会に与える影響も無視できないものがある。


1 欧州共同体(EC)のアイルランド法制度に与える影響

   ECには、加盟各国の閣僚によって構成される閣僚理事会が置かれている。同理事会は共同の意思決定機関である。その議決はすべての案件について全会一致方式で行われてきたが、これは各加盟国に拒否権を与え、欧州統合の歩みを遅らせる結果となった。そのため、1985年7月1日に単一欧州議定書(Single European Act)が採択され、重要事項案件以外については「加重特定多数決方式」を採用するように改正された。同方式は、主に人口比例により各加盟国に票数を割り振り、総票数76票のうち54票の賛成があれば可決するというものである。同条約はアイルランドの主権を大幅に制約するものであり、批准のためには憲法改正が必要となった。このため1987年に憲法の改正が行われた。
 閣僚理事会とEC委員会は、規則(regulation)、指令(directive)、決定(decision)、勧告(recommendation)、意見(opinion)を発出することができる。
 「規則」はアイルランドにそのまま適用され、国内法の改正等の必要はない。
 「指令」がアイルランドに適用されるためには、国内法の改正等が必要である。
 「決定」は特定の政府、企業、個人に対して行われ、直接的な拘束力を持つ。
 「勧告」、「意見」は何らの拘束力も持たない。
 アイルランド法廷は、EC法について審査したり違憲かどうかを判断する立場にはない。EC指令に基づき、アイルランドでは多くの国内法が整備されている。


2 EC補助金等

   アイルランドがECから受ける一番大きな影響は、ECからの財政援助かも知れない。表9から明らかなように、アイルランド政府、地方団体、農業者等は、1993年にECから2,132百万ポンド(3,620億円)の助成を受けることが見込まれている。
 そのうち、欧州農業指導・補償基金(European Agricultural Guidance and Guarantee Fund: EAGGF)は、農業構造の改善・農村部の発展及び農業者に対する農産物のEC市場と世界市場の価格差の補償を目的としている。欧州社会基金(European Social Fund)及び欧州地域開発基金(European Regional Development Fund)は、EC内の経済的ないし社会的格差の是正のために置かれている基金である。欧州結束基金(European Cohesion Fund)は、1993年に環境問題対策あるいはヨーロッパの輸送のインフラ整備のために新設された基金である。
 欧州地域開発基金と欧州結束基金の一部は、国の社会資本整備の財源として利用されている。また、欧州地域開発基金、欧州社会基金及び欧州結束基金の一部は、国以外の組織(国の財政援助団体と地方団体)によって、社会資本の整備に活用されている。
 なお、欧州投資銀行(European Investment Bank)から、1993年には200百万ポンド(340億円)の借入が予定されている。

<表9> ECからの補助金(単位:£m)

 アイルランド政府は、表10で分かるとおり、1993年にEC等に対して389百万ポンド(660億円)の拠出を予定している。この額は政府の総支出額の3%、GNPの1.5%に相当する。一方、ECのアイルランドに対する助成は、前述のとおり国全体で2,132百万ポンド(3,620億円)が予定されており、完全な入超になっている。アイルランドが財政的に如何にECの援護を受けているかが明らかである。

<表10> EC等への拠出金(単位:£m)


3 ヨーロッパ人権裁判所との関係

   アイルランドでは、今日でも離婚、堕胎が法律で禁止されている。同性愛も違法である。このように、アイルランド人の価値観は、他のヨーロッパ諸国ほどリベラルではない。
 アイルランドは「人権に関するヨーロッパ条約」(The European Convention of Human Rights)に加盟している。人権を抑圧され、国内法の救済制度に絶望した国民は、同条約の保障する権利を国が侵害したことを理由にして、ヨーロッパ人権裁判所(The European Court of Human Rights)に提訴することができる。同裁判所の決定は、当然アイルランドを拘束する(ただし、憲法規定のみは、同裁判所の審査の対象から除外される)。したがって、ヨーロッパ人権裁判所がある以上、アイルランドも独自性を主張してばかりはいられない。1981年にホモの禁止につき同裁判所に訴えたケースがあるが、これは手続きミスで退けられた。なお、1990年代初めに国政選挙でホモを認めるべきかどうかが争われたが、まだ結論は出ていない。

―欧州裁判所とヨーロッパ人権裁判所は違う―
 フランスのストラスブール市に所在するヨーロッパ人権裁判所と、ルクセンブルグに所在する「欧州裁判所」(The European Court of Justice)はよく混同されるが、同じ機関ではない。欧州裁判所はECの一機関である。EC法を守ることを目的とし、加盟国又はその裁判所が提訴した事件の審理をする。一方、ヨーロッパ人権裁判所は、西欧23カ国によって構成される欧州会議(The Council of Europe)が設立した裁判所である。「人権に関するヨーロッパ条約」に基づき、個々人に関する事件の審理をする。ECの全加盟国は、人権問題に関してはヨーロッパ人権裁判所の権限を認めている。





〔参考文献〕


Basil Chubb,"The Government and Politics of Ireland"(Longman:London and New York)

Neil Collins and Frank McCann,"Irish Politics Today"(Manchester University Press)

E G Power,"Modern Ireland"(Langman:London and New York)

James D O' Donnell"How Ireland is Governed"(Institute of Public Administration:Dublin)

Paul Bonger,"Local Government and 1992"(Longman:London and New York)

The London Office of The Commission of The European Communities ,"Finance from Europe"

"Budget 1993 ― Presented to Dail Eireann by Minister for Finance ―"

「概説イギリス史(新版)」,青山吉信・今井宏編,1991年,有斐閣選書





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