沿革

17世紀の初めオランダ人がマンハッタン島南部に入植して以来、約200年間というもの市民はため池や泉など自然の水源に水の供給を頼っていた。1667年には公共井戸が掘削され、18世紀初頭にはブルックリン地区から導水が開始された。それでも人口の増加に伴う慢性的な水不足の状態で、独立宣言が発せられた1776年9月には市内建物の4分の1を焼き尽くす大火に見舞われている。
1799年、ニューヨーク州議会は現在のチェース・マンハッタン銀行の前身にあたるマンハッタン会社に市内への上水の供給に関するすべての権限を与えたが、同社は水質の改善にも供給量の改善にも取り組まず、水道業の余剰資金で始めた銀行事業に熱心であったといわれる。
当時は下水道施設、廃棄物処理施設ともに未整備のため、人間の生活廃棄物によって水源が汚染され、また、海水が地下水に浸透しやすい地質のため、市民の生活用水は極めて不衛生であった。1832年には人口の20%を失うコレラ禍が発生し、これを契機として、清澄な上水を供給することがニューヨーク市の急務となった。ハドソン川のダム建設、ブロンクス川からの運河建設等が検討された結果、水量と水質の点から同市の北にあるウエスト・チェスター・カウティにあるクロトン川から取水することとなった。1842年7月4日、総延長41マイルに及ぶクロトン水路の通水式が行われた。同水路の建設にあたった当時のジョン・ブルームフィールド・ジャービス主任技師は、同水路の建設は百年の計であるとしていたが、潤沢な水の供給は一層の人口増加を可能とし、衛生施設も普及しはじめたことから水の需要が高まり、1885年には新クロトン水路の建設が開始された。
1889年、ブルックリン、クイーンズ、スタテン・アイランドとマンハッタン、ブロンクスとが合併し、現在のニューヨーク市となったが、この時点で同市の人口は250万人を超えるまでになっている。
20世紀に入ると、同市は再び水需要の増大に直面することとなった。1906年、ニューヨーク州議会はニューヨーク市上水道委員会(New York City Board of Water Supply)を創設する法案を可決した。このことは同市に貯水池建設用地の取得権限を与えるとともにキャッツキル地域にダムの建設を認める根拠となった。幾つかの町村の移転を伴って、デラウェア、キャッツキル水系がそれぞれ1927年と1965年に完成された。
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