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移民(ぶどう栽培のためアフリカから)流入が急増し始めた1960年代以降自治権の拡大運動が起こり、民族的地域運動の色合いの濃い闘争に発展し、テロの形にまで及ぶこともある。
コルシカの民族的運動を収めるため、政府はいろいろな形での対策を実施し、これが他の普通州とは異なる権限や行政形態となって現れている。
まず、コルシカ州には普通州に比べて拡大した特別な権限が与えられている(州の権限については協会刊『フランスの地方行財政のあらまし』で説明しているのでご参照いただきたい)。
その一つに「総合計画」がある。他の州では国家と州の合意に基づく計画契約であるがコルシカ州議会の議決により独自に総合計画を策定できる。
また二つ目はコルシカ内の県や市町村の上位計画として州独自に土地整備計画を定めることができる。
その他の部門の一般政策、特に教育、文化、環境、交通、経済開発の各部門の政策についてもコルシカ州の権限は拡大されている。
この背景には、1950〜60年代の政府による開発で島を荒らされたという観念をもち続けていることからコルシカの開発は住民自らの手で行いたいという考えやコルシカ独自の文化と言語は自分たち独自で保護していくという意思から出てくるといわれている。
また、財政面でもコルシカは様々な助成を受けている。特に本土と結ぶ航路の運賃を下げたり、本土との物価の均衡を図るために特定の品目(コルシカ内で生産がなく、輸入に頼らざるを得ないもの。特に食料品)についてTVAの税率を低くする等、本土との連続性を保証するための地方連続性交付金(dotation de continuite territoriale)という名目の大きな予算を受け取っている。これはコルシカ州が受ける22億フランのうち45%(約10億フラン)を占めている。その他の補助金として、島内555kmに及ぶ道路保全のための2億5000万フランがあり、国は金(補助金)を出しても口は出すなというえらくわがままな考えであるが、アイデンティティーの強さを表す一面でもある。
また、行政形態も他の州のそれとは異なる(図参照)。
これは政府が民族的運動懐柔のため認めたものであるが、議会と執行部を切り離す必要性と自治要求という当時のコルシカの政治的状況による産物である。
この背景には、1950年代から60年代にかけてフランス政府がコルシカの開発を手掛けた時期があったが、これを国(政府)から派遣された職員が担ったため、島民に植民地化されたという感情がおこり、自治権要求から70年代の独立派のテロにつながったという歴史的経緯があったためである。
普通州のように議長が執行部の長も兼ねる場合は、国の補助金と抱き合わせでの事業(特に開発)については国に主導権を取られてもそれを監視することはなかなかできなくなる可能性が強く、それを防ぐために強い監視機能をもつ議会と執行部を分離させるべきであるとの考えが働き、現在のような形態がとられるようになったといわれる。
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