歴史を生かした町づくり

宇和町は鎌倉時代中期に公家大名西園寺氏の領地となり、宇和荘の中心地として栄え、南伊予を長らく支配したが、豊臣氏に滅ぼされてからは伊達氏が支配するようになり、宇和島藩の宿場町としてにぎわった。幕末には、長崎鳴滝塾でシーボルトに学んだ蘭方医、二宮敬作が藩主伊達宗城公の命により医業を開業し、22年間にわたって仁術を尽くした。敬作は恩師シーボルトの約束通り、長崎で14歳になっていた娘イネを卯之町に呼び寄せて五年間教育、後に楠本イネは日本初の女医へと育った。美しいおイネさんが男装して敬作からさまざまなことを学んだ様子が今も語り継がれている。
宇和町の先哲として開明思想を弟子に教えた二宮敬作亡き後、弟子たちは近くの大師堂に儒学者を招き、さらに申義堂を建て、明治初期には開明学校(国重要文化財)へと受け継がれ、今日、明治・大正・昭和時代に建てられた学校群の残る町として聞こえている。幕末の町並みの残る県指定文化の里では、二宮敬作やイネの活躍した時代から後に育まれた英傑たちも共に偲ぶ先哲供養や文化の里まつりを通じて、二宮敬作や楠本イネの顕彰を続けている。
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