難民

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難民とは

世界には、母国において政治・宗教・民族を理由に迫害を受け、やむを得ず外国へと逃れて庇護を依頼する非常に弱い立場に置かれている人達がいます。

1951年の「難民の地位に関する条約」では、自国を離れた者であって、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために」自国に帰ることができない(望まない)人々を難民と定義しています。
さらに、今日においては、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を難民として指すようになっています。また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている「国内避難民」も近年増加しています。このような人々も、難民と同様に外部からの援助なしには生活できません。

<引用文献等>
UNHCR 国連難民高等弁務官事務所 HP
http://www.unhcr.or.jp/html/index.html
外務省 HP
http://www.mofa.go.jp/
難民条約

多くの難民は、最初に避難した国(第一庇護国)の庇護を受けようとし、難民キャンプ等での生活を余儀なくされるケースがみられますが、同時に、その第一庇護国は必ずしも経済力の高い国ではないため、十分な庇護を受けられないまま貧しい難民キャンプでの生活が長引くことがあります。
このような望ましくない状況を解消するために、国連は、第二次大戦直後から検討を始め、1951年に「難民の地位に関する条約」、1967年に「難民議定書」がそれぞれ成立しました。この二つを、通称「難民条約」と呼んでいます。
難民条約において、難民の定義や難民に対する加盟国の責任を明確にすることで、社会的弱者の基本的人権を守ることを目的にしています。2014年現在、難民条約を批准した国は日本を含めて143カ国に及んでいます。

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難民を取巻く主な経緯

第二次世界大戦による難民

第二次世界大戦による政治的・宗教的迫害の影響で、ヨーロッパ全域から多くの“難民”が生まれ出ました。特に顕著だったのは、ホロコーストから逃げる何百万人ものユダヤ人でした。戦争という大惨事によってできた大勢の難民を救うために、国連が1950年に「難民高等弁務官事務所(UNHCR)」を設立しました。
アジア太平洋地域においても、戦争や民族紛争等が後を絶えません。世界の難民の半数以上はアジア地域に暮らしており、その数は約500万人に上っています。この多くの難民はアフガニスタン、パキスタン、ミャンマー、スリランカからの難民です。

インドシナ難民

1975年に、南ベトナム政権が崩壊したことにより、インドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)が共産党政権下におかれました。そうした中、旧政府を支持した多くの人が「再教育収容所」に入れられ、拷問、飢餓に耐えざるをえない状況に置かれました。また、1979年に中越戦争が勃発し、多くの華僑がベトナムから逃れました。この不安定な政治的状況を背景に、多くの人が安全を求めて小さな船に乗って、身一つで隣国を目指して出航しました。彼らは日本が初めて受け入れた難民でもあり、「ボートピープル」と呼ばれました。

ミャンマー難民

ミャンマー(ビルマ)は、1948年に英国から独立しました。しかし、少数民族が多いミャンマーは、当時優位な立場に立っていたビルマ族に支配されることを受容れず、軋轢が徐々に高まっていきました。1962年に民主政権が社会主義政権に倒され、軍事国家となりました。特にキリスト教徒が多いカレン族は、中央政府と対立し、民族紛争が起こりました。隣国のタイやバングラデシュへと避難する人が多くいます。

その他のアジアの難民

東南アジア以外も、多くの難民が生まれている地域があります。アフガニスタンには、長い戦争の影響で約300万人の難民がいます。パキスタンにも、北部の武装勢力グループを弾圧しようとすることによって、およそ123万人の「国内避難民」がでました。また、スリランカでも内戦の影響で、約40万人の国内避難民も出ています。

シリア難民

シリアは、世界でも多くの難民を受け入れてきた国のひとつでしたが、2011年の内戦勃発以降、政府と反体制派の戦闘激化により、レバノンとヨルダンなど周辺国に逃れる住民が増加しました。2013年にはUNHCRが難民登録したシリア人の数が100万人を超え、2015年には全難民の約54%を占めるようになりました。難民の数が増え続けているため、シリア難民を受け入れてきた周辺国(レバノン・ヨルダン・イラク・トルコ)では受け入れの限界を超え、シリア難民は地中海・ヨーロッパへと避難先を広げています。日本は2016年5月に将来のシリア復興を担う人材育成の観点から、2017年より5年間で最大150名のシリア人留学生を受け入れる旨を発表しました。

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難民問題の解決への道筋

難民問題の解決には、3つの道筋があるといいます。「@自発的帰還」、「A第一庇護国への定住」、「B第三国定住」がその道筋ですが、当然、避難を余儀なくされた本国の情勢が改善し、安心して暮らせる状態になれば、@の選択肢が望ましいことは言うまでもありません。しかしながら、多くの場合、母国への帰還の望みがほとんどないまま避難生活を強いられており、継続する紛争や母国で受けうる迫害への恐怖のため帰国することができません。
そうした場合、庇護国の地域社会へ定住することが難民にとって新たな人生を始める機会となり、恒久的解決策として考えられます。しかし、第一庇護国が同じように不安定な状況にある場合や庇護する余裕がない場合、彼らは次の居場所を求めて移動を繰り返すことになります。実際、2009年には、100万人近くが庇護先で新たな難民申請を行っています。このように迫害を逃れて母国から逃れたものの、避難した先の国でも定住することが許されなかった難民たちを、第三国が受け入れる制度のことを「B第三国定住」といい、自主的帰還や第一庇護国で定住が実現可能でない場合における、解決策の一つと考えられています。

昨今、UNHCRでは、難民問題を解決する負担を公平に先進国に分担するように呼びかけており、その方法として第三国定住を推奨しています。

<第三国定住に関するUNHCRの努力目標>
@より多くの国々に第三国定住プログラムを実施するようあるいはUNHCRの要請を受入れるように促す
A既存の受入れ国には、UNHCRが要請する案件の受入れ枠を増やすよう要請する
B受入れ枠が限定的である以上、第三国定住のニーズを優先させ、要請をスピードアップさせる
日本における第三国定住の受入開始

こうした動向を受け、日本政府は、2010年の秋にタイのメーラキャンプで暮らすミャンマー難民を日本に受け入れる「第三国定住」の枠組みによる難民受入れをはじめました。タイに暮らしているミャンマー難民は、自発的帰還やタイへの定住が難しく、タイの難民キャンプでの貧しい生活が20年以上続いていました。日本は、アジアでは初めての導入国となります。
パイロットケースとして、当初は2010年から3年間で90人の受入れを予定していましたが、2012年に事業の2年延長が、2013年には対象のキャンプが5つに拡大されました。パイロットケースとしては2015年3月末日に終了しましたが、2015年4月以降は、マレーシアに一時滞在するミャンマー難民や、すでにタイから受入れたミャンマー難民の家族を受入れ対象に加え、継続して実施されています。

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統計からみる難民の情勢

2015年の統計では、世界ではおよそ6530万人もの人が紛争や迫害によって家を追われ強制移動を余儀なくされました。この数は1990年代半ば以来増加傾向にありますが、2010年以降の5年間は特に増加傾向にあります。そのうち、難民は2130万人、先進諸国で庇護申請を行ったのは320万人、残りの4080万人は自国内で紛争を逃れる国内避難民を示しています。、国内避難民の数は増加傾向にあり、2006年を境に、その数が難民の数を上回りました。また、自主的に祖国へ帰還した難民は、2015年が20万1400人と2014年の12万6800人と比較すると増加はしていますが、1990年代初頭と比較すると依然低い水準にとどまっています。「人道問題の長期化」や「新たな危機の頻発」により、ソマリアやアフガニスタン、シリアや南スーダンなどそれぞれ国内での争いが長引くこと、冷戦後、難民、国内避難民に対する解決策が減ったこと、難民を危険にさらす要因が複雑化しているためだとされています。

難民の受け入れ国について見てみると、難民の多くは先進諸国に殺到していると考えられがちですが、実際は、開発途上国の都市部に集中する傾向にあります。また、統計によると、ほとんどの難民が近隣諸国などの出身国周辺にとどまり、避難生活を強いられていることがわかります。難民が発生している主要な地域内の国々が受け入れている難民のうち、86%が、同じ地域内の出身者です。2015年になされた新たな庇護申請では、ドイツへの申請が最も多く、44万1900千人からの申請を受けています。


出典:UNHCR HP


出典:UNHCR HP

[新たな庇護申請者の主な目的地 2008年-2009年]


出典:UNHCR HP

第三国定住については、2011年には、合計91,843人を第三国定住受入れ国に検討を仰ぐ候補として提出しました。「危機に瀕する可能性のある女性や少女」の第三国定住申請が、この6年間で最も多い、全体の申請者数の約10%をしめています。受入先の上位6カ国は、@アメリカ(69,655)Aオーストラリア(6,692)、Bカナダ(6,404)、Cスウェーデン(2,206)Dノルウェー2,010)、Dイギリス(939)となっています。

このうち2011年にUNHCRの支援により第三国へ定住した61,649人の難民の出身国上位6カ国は、@ブータン(18,068)、Aミャンマー(17,899)、Bイラク(8,677)、Cソマリア(4,636)、Dエリトリア(2,836)、Eコンゴ民主共和国(2,030)となっています。

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日本における難民の受入状況

2010年末現在、日本には約11,000人のインドシナ難民と約500人の難民条約加入後に認定された難民が生活しています。難民のもっとも多いアジアにおける先進国である日本は、難民支援に大きく貢献し得る国の一つとして期待されています。1975年のインドシナ難民(ボートピープル)の受入れを皮切りに、日本はこれまで30年以上にわたって、難民を受入れてきました。

インドシナ難民を受入れた75年当時、日本は難民条約の加盟国ではなかったため、難民として受入れる制度がなく、一時的な在留許可しか降りませんでしたが、78年の閣議決定により定住が可能となりました。正確には、11,319名がインドシナ難民として日本にやってきましたが、その多くは最初にボートでたどり着いた難民の家族として呼び寄せられた人たちでした。
その後、1981年、82年に「難民条約」を批准し、難民問題解決に向けた様々な施策に取り組んでいます。

難民受入れの動き
  • ・1981年 難民の地位に関する条約
  • ・1982年 難民の地位に関する議定書(上記の条約とあわせて難民条約と呼ばれることが多い)
  • ・1982年 1982年 出入国管理及び難民認定法に基づき審査・受入れを開始
  • ・2003年 難民認定申請者緊急宿泊施設(ESFRA)を運営
  • ・2010年 第三国定住による受入れ開始(パイロットケースとして3年間)
  • ・2015年 第三国定住による難民の継続受入れ開始

難民受け入れの数でいうと、日本の難民政策は、他の先進国と比べると必ずしも進んでいるとは言えません。インドシナ難民を受入れて以降は、直接自力で日本にたどり着いた難民についてのみ、そのごく一部を難民として受入れてきましたが、2010年の第三国定住による受入れのパイロットケース開始まで第三国定住は行っていませんでした。国内で難民として認定された外国人、いわゆる条約難民は世界各国と比べるとまだきわめて少なく、年に数人から多くて50人台で、1982年の難民認定制度導入から2015年までの合計で600人を超えたところです。

難民認定申請数及び処理数の推移(単位:人)

年別 申請数 認定(※1) 人道配慮による在留
平成23年 1867 21(14) 248
平成24年 2545 18(13) 112
平成25年 3260 6(3) 151
平成26年 5000 11(5) 110
平成27年 7586 27(8) 79

(法務省プレスリリースより)

(※1)認定のカッコ内は、難民不認定とされた者の中から異議申し立ての結果認定された数であり、内数として計上されている。
(※2)人道配慮による在留は、難民とは認定しなかったものの、人道的配慮が必要なものとして在留を認めた者。

難民の受け入れに関する課題

難民の審査は長い時間を要しており、その結果を待つ間は仮滞在許可がされない限りは在留資格がないため非正規滞在者として、国民健康保険など公的な生活支援も得られず、また就労も原則として禁止されています。また、恒常的に住むことのできる住宅の確保は困難で、保証人や敷金・礼金、入居差別などの問題から、間借りしているケースが多く見受けられます。
また、国が実施する日本語講習だけでは、多くの場合、就労に必要な水準まで習得するのは困難です。国の日本語講習が終了したあと、居住する自治体において、どう支援していくかについての課題もあります。