松尾翼さん コラム

日本の入管法・在留資格について
第一部:多文化共生に係る法律の歴史、概念と実務

松尾 翼
(公益財団法人入管協会 監事)
(弁護士法人 松尾綜合法律事務所 代表弁護士)

1.歴史的背景

(1) Immigrationという英語の本来の意味は、「移民」なのです。しかし、日本では、古来から地理的に狭い国土で、しかも石油などの天然資源に恵まれないどころか、山が多くて耕地に適した平野部分の少ないこと、従って、数多くの人口を養うに足るだけの国ではないことと、下記に述べる国際的な問題との相克を考慮し、Immigrationに「出入国管理」という日本語を当てはめて使っています。もともと世界各国では、その国、その国の成立の所以、その国の立国の精神と、現在の独立国としての基本政策によって、移民法は置かれているのであって(註:簡単に申しますと、我が国は決していわれも無い差別をしているのではありませんが)、例えば国家を転覆してやろうとか、テロをやってやろうとかいう人の入国はお断りします、ということです。ですから出入国管理および難民認定法は、他の一般の法令とは立法、改正、解釈などに基本的な違いがあることを理解して下さい。

(2) 重ねてこれを申しますと、外国人が、他の国に出入りすることについては、世界的に、それぞれの国々が独立国としてであれ、他国の植民地としてであれ、国際機関から委任統治を委されたものであれ、その国の成立の歴史に基いた、政治的配慮と判断によって、決定されて来たのです。これが移民法、入管法の基本であること、他の法律とは解釈も実務も異なることになることを、先ず理解しておいて下さい。

その典型的な例は、現在でも、外交官の赴任、または退去強制などの場合に、その外国人外交官が、入国を目指している国の存立にとって「好ましからざる人物(Persona non grata)」である限り入国を拒否する自由、退去を強制する自由が認められていることから見ても、良く判ると思います。ですから、大使の赴任前に、その大使を派遣しようとする国は、相手国に対し事前に承諾(アグレマン、agreement)をとらねばなりません。

(3) この歴史的背景は、時代の進歩、社会感覚の変化に従って、徐々に変化して来ます。

例えば、オーストラリアは、つい半世紀前までは、白豪主義として知られて来たのです。

もともとオーストラリアは、英国の植民地でした。主に英国から刑事罰で懲役刑に処せられた白人達が英国の監獄からオーストラリアに送られて来たことが、オーストラリアを近代化に向ける始まりでした。すると、1850年(19世紀後半)に、黄金(金鉱)が発見されて、世に言うゴールドラッシュとなりました。このため賃金の安い中国人労働者がドットおし寄せて来たのです。その当時のオーストラリアは英国から来た白人によって主宰されていましたので、一部の大衆はいわれも無い恐怖感から、「有色人種(当時、有色人種はヨーロッパとアメリカにおいて劣等民族と評価されていました。そしてこれがヒットラーなどのアーリア民族の優秀性論にも繋がるのです。)」を差別するようになりました。それが、White Australia Policy(白豪主義)をオーストラリアに齎したのです。しかし、この白豪主義は、歴史の流れに従って徐々に変化して来ます。

(4) 第二次世界大戦のとき、オーストラリアは大型の軍隊を持っていないことに気付きました。そして、戦争が終ると、戦地から引き揚げて来た兵隊さんは奥さん探しをしなければなりませんでした。また戦後、世界的な傾向として白豪主義の批判が強まり、若干の政治家などから国家政策の変更が提案されるようになって来ました。1949年、移民省は、ヨーロッパ外の800人の難民の受け入れと、戦後、日本占領時代のオーストラリア軍の兵隊さんが日本から連れ帰る戦争花嫁の受け容れを認めました。1963年、メルボルン大学で学術研究として行われた「有色(人種)か否かでコントロールするのは正しいのか?」との議論があったのをキッカケに、1966年移民法の改正があり、「白豪主義」は撤廃されました。そして1973年に人種差別法が制定されたのです。

2.日本の最高裁判所の判例

(1) 日本の憲法第11条は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」と規定しています。

しかし、国際的に(国際法的に)「外国人に対しその入国を許すかどうかは国家の自由な裁量に任された問題であって、国家は条約の定めがない限り、外国人の入国を認める義務を負わず、入国を認める場合でも、どのような資格の条件のもとに許すかを自由に定めることができる、とするのが、通説的見解である。」とされています。(越山安久、後述マクリーン事件最高裁判所大法廷判決の判例解釈、最高裁判所判例解説民事篇昭和53年度442頁に詳しい。)

(2) なお、この「国民」には、外国人は入っていません。参政権社会権、入国の自由などが、外国人に保障されない人権の代表的なものです(芦部信喜著、高橋和之補訂第4版90頁)。

しかし近時、「人権の国際化の傾向があるので、権利の性質上、適用可能な人権規定は外国人にも及ぶと考える方が妥当」との有力説もあります(前同)。

(3) そして最高裁判所は、有名なマクリーン事件において、出入国管理令(昭和53年当時は、昭和26年10月の所謂ポツダム政令の一つとして発布施行された、管理令でした)21条V項の在留期間の更新の制度に基き、

「元来外国人に対する出入国管理の制度は、国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持を目的として行われるものであって、右のような国益の保護の判断については、国内はもとより国際的にも広汎な情報を収集しその分析のうえに立って、そのときどきに応じた的確な判断をすることが必要であり、また時には高度に政治的な判断を要求される場合もありうること、右のような判断については出入国管理行政を任されている法務大臣が責任を負うべき建前になっていると解されること等にかんがみれば、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の『更新を適当と認めるに足りる相当の理由』があるかどうかの判断は、法務大臣の裁量に任されているものであり」、最高裁判所大法廷は有名な全員一致の判決(民集32巻1223頁、1230頁〜1231頁)をしています。

しかも、この「法務大臣の裁量権が広汎なものとされていることが当然である」と判断されていることが入管法の性質を示しています(上同、同頁)。

(4) 但し、実務上、この判決は1970年9月5日の上陸不許可処分について、その当時の入管法の条文に基いて、入管法5条の2の「法務大臣の特別許可」を判決の対象としていること、そしてこの最高裁判所の判決は1978年に下されたことに、御注意下さい。と言うのは、この「法務大臣の特別許可」の定義(Legal Definition)が、とても曖昧であって、時代の変化、世界における日本の政治状勢の変化に従って多様な解釈が可能となるからです。今は、既にそれから40年も経っており、社会状勢も変り、また法第12条も創設されています。勿論、今でも、我が国の政治的政策に反対を標榜する外国人は、この「特別許可」の対象になりませんが、昔の前科歴から大分年月が経っているときには実務上、「特別許可」が出ております。判例はありませんが、実務では考慮されているということです。

「このようなさまざまな環境の変化を受けて、入管行政実務においては在留期間更新・在留資格変更許可申請のほとんどが許可され、在留特別許可ですら8割ないし9割が認められるようになったという現実が存在」(児玉是一他、コンメンタール出入国管理及び難民認定法2012.現代人文社、2012年刊40頁)しています。

【著者プロフィール】

弁護士

松尾 翼 Tasuku Matsuo

信条:中国の文化大革命後、北京大学法学部から数名の教授がお見えになったとき、北京大学随一の書家としての評価も高かった故 李志敏教授から扁額を頂戴しました。

至誠而して寶、無私すなわち剛し 右から左へ、至誠而して寶、無私すなわち剛(つよ)し、と読みます。

1931年1月6日

東京生まれ

1953年3月

早稲田大学第1法学部卒業

1960年4月

弁護士登録(東京弁護士会所属)

1967年〜1969年

フォード財団奨学生、アメリカ・ワシントン大学 比較法学修士

1984年

コロンビア大学 Law School (ニューヨーク)客員講師(1月〜6月)

1989年1月

ルーバン・カソリック大学(ベルギー)法学部客員教授(1月〜6月)

1990年

財団法人入管協会(2013年より公益財団法人)監事に就任し現在に至る

1992年1月

ルーバン・カソリック大学(ベルギー)法学部客員教授(1月〜6月)

1997年4月

早稲田大学法学部講師

2002年4月

日本大学グローバル大学院客員教授

2004年4月

日本大学法科大学院講師