田辺 豊人さん コラム

ダブル多文化共生を経験して

田辺 豊人(NPO法人ABT豊橋ブラジル協会 副理事長)

多文化共生についてお話する前に、まず私のバックグラウンドを知っていただきたいと思います。

私はブラジルの「アマゾン」パラ州トメアスーというところで生まれ、中学卒業まで暮らしていました。そこはまるで昭和初期の日本の小さな村を切り抜いたような環境だったのかもしれません。日本人が作った学校、設立した農業組合、そして文化協会(コミュニティーセンターのようなもの)の三本柱から成り立ち、その下で農業を主な産業に据え生活していました。子供であった私にとって、親や祖父母をはじめ近所付き合いを含む生活環境のすべてが日本人や日系人であり、日々話す言葉は小学校へ上がるまでは日本語オンリーでした。私にとって最初の多文化共生が始まった現地の小学校の7割の生徒が日本人及び日系人であり、話す言葉は授業と先生との会話以外は日本語、もしくは日本語を交えた片言のポルトガル語といった生活が小学校の三年間、転校するまで続きました。私はポルトガル語を小学校へ上がるまで話せませんでした。正確にいうと耳にする機会すら少なかったのかも知れません。小学校4年から中学校を卒業するまでは日本語学校にも通いました。

中学卒業後は両親や祖父母が教育環境を考慮し、両親と離れ祖父母が暮らすサンパウロ州の高校に入学しました。その頃、ブラジルに暮らす多くの日系人は日本人として心に誇りを持ち生きていました。私も遠く離れる肉親を想うような気持ちを、日本というもう一つの祖国に持っていたと思います。そして、日伯の景気が変わり「デカセギ」が始まり来日しました。

日本に来て今年で24年になります。10年前に日系ブラジル人自助組織のABT豊橋ブラジル協会が設立された当初から、ブラジル人と豊橋市民との多文化共生のため、様々な支援や活動をしてきました。

これまで多くのブラジル人が出稼ぎのために来日し、ピーク時には約1万3千人が豊橋に住んでいました。しかし、2008年のリーマンショックによる世界不況により労働状況が一変、更にその状況が立ち直り始めた2011年3月11日に東日本大震災が起き、ブラジル人を取り巻く環境は大きく変わりました。それと共にブラジル人が日本で暮らすことの意識も変わったと思います。ほとんど災害の無いブラジルで生まれ育った人にとって、日本での大きな災害はとてもショックでした。災害時の報道や情報はすべて日本語で流れ、日本語が理解できないことからデマが飛び交い、不安ばかりが膨らんでいく人々のストレスは想像を超えるものでした。当協会のインターネットラジオには家族の安否や被災地の状態などの問い合わせが殺到し、パーソナリティーがポルトガル語で正しい情報を24時間流し続けて対応しました。多文化共生を推進するにあたり、重要となる「誰もが安心して暮らせるまちづくり」としては、一番必要とされる緊急事態に対応が不十分だった事がとても残念に思いました。日本人も含め、災害時には誰でも手軽に正しい情報を得られ、少しでも安心につながるシステムは必要であると痛感しました。

そして来日してからずっと感じていた言葉の障壁を越える難しさから、次代の社会を担う子どもたちの教育にも目を向けなければいけないと思いました。現在、日本で暮らすブラジル人の子どもたちの多くは、私の子どもの頃と逆の多文化共生を経験しています。より早い段階で日本語の環境に身を置き日本の教育を受けることが出来れば、日本での進学・就職の選択肢も増えていきますが、ブラジルの教育を希望する親がブラジル人学校で学ばせる事を選択し、帰国予定が延びていく事により中途半端な教育のままで、行き場の無い子どもたちは将来に夢を持つことも出来なくなってしまいます。リーマンショック前とは状況や考えも変わり、定住を考える家庭が増えた今では、教育を受ける権利を持つ子どもたちの未来のために、外国人も義務教育化を考える必要があるのかもしれません。そして、その子どもたちは多文化共生を身をもって体験したことにより、2つの国をつなぐ架け橋として社会から必要とされる人材に育っていくことでしょう。

今までの経験から多文化共生に必要なことは、お互いの事を知り、それぞれの良いところも不足するところも理解した上で歩み寄ることではないかと思います。真実を知らなければ、声も心も何も届かず、良かれと思ってしたことも相手を傷つけることになってしまうかもしれません。私自身も来日して、それまで育んできたものを否定されるような思いをした事もありますが、ブラジルにはないコミュニティーの強さのようなものを知ることができました。

距離を置くことで摩擦をさけ、表面上だけ上手く取り繕うような事ではなく、理解し、受け入れて一緒に歩くことが真の多文化共生だと思います。私も携わるひとりとしてこれからも力を注いでいきたいと思っています。


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