結城 恵さん コラム

「外国につながる子どもだからこそ」の教育実践から「外国につながる子どもがいるからこそ」の教育実践へ

結城 恵(群馬大学 大学教育・学生支援機構 教授)

外国につながる子どもへの教育実践には、大きく分けて2つの実践に分類されるでしょう。ひとつが、外国につながる子どもの特性に対応する教育実践です。もうひとつが、その実践が結果として日本で生まれ育った子どもにも波及する教育実践です。私はこれらをそれぞれ、相手が「外国につながる子どもだからこそ」の教育実践と、「外国につながる子どもがいるからこそ」の教育実践と名付けています。


(写真1)参観した日本語教室で子どもが取り組んでいた「3けたの数」のプリント。


(写真2)子どもの誤答からその子どもの見方・考え方を探る。10の「まとまり」を認識していないことがわかる。

前者の「外国につながる子どもだからこそ」の教育実践の大きな柱は、外国につながる子どもがもつ文化的・社会的背景に配慮し、日本での学校生活や学習に適応できるようにするための教育実践です。例えば、日本語教育や適応指導、生活言語や学習言語の指導、多言語による進路ガイダンス、不就学・不登校の子どもたちのための居場所づくり等があげられます。これらの教育実践は、実施主体の広がりもあり、さまざまな成果が生まれています。今後は、その教育実践で積み上げられてきた貴重な知見が分析・整理され、各地で応用・展開ができるよう汎用化に向けた方策が求められるところです。

そのひとつの方策が、後者の「外国につながる子どもがいるからこそ」の教育実践の展開です。この教育実践には、人権教育や国際理解教育等が含まれると考えられます。しかし、本稿がここで強調したいのは、上述した、「外国につながる子どもだからこそ」の教育実践を、日本で生まれ育った子どもにも波及させるという視点で生み出す教育実践です。

公立学校に学ぶ子どもたちは、確かに、日本語の理解に課題があるために日々の学習で苦労しています。そこで、通常学級から子どもを日本語教室に〈取り出し〉て、日本語の勉強を補強して通常学級の学習について行けるようにするわけです。その指導の過程を参観させていただくと、日本語教育に留まらず、教科学習の「わかりやすさ」につなげる契機が実に豊富に埋め込まれていることに気づきます。

例をあげましょう。ある学校で小学2年の子どもが、「0」点をとった「3けたの数」のプリントを日本語教室に持ってきました。日本語教室の先生は、子どもの鉛筆書きを全て消しゴムで消させて、その子どもに問題文の意味をわかりやすく説明をしながら、赤鉛筆で書き直させていました(写真1)。この子どもが抱えている問題は日本語の問題もありますが、そうなら、言葉の問題が解決すれば、自分で正しい答えを赤鉛筆で書き込めるはずです。しかし、実際はそうではありませんでした。

そこから推測されることは、この子どもには、10本、10枚の「まとまり」という「概念」がないのではないか、ということです。1本が10集まって、10本という「まとまり」とみなす、10本が10集まって100本という「まとまり」とみなす、という見方・考え方が育っていない――それを裏付けるのが、そのプリントの裏面の問題10の子どもの回答です(写真2)。

色紙が170枚あって90枚使うと残りは何枚になるかという問いに、子どもは「8−9」という式を書いています。ここから、この子どもは、10枚の色紙のまとまりを「1」とみなしていることがわかります。

この子どもには、日本語で問題2や問題3へとわかりやすく説明することよりも、まず、10の「まとまり」という「概念」を導入することが必要であることがわかります。もしこの概念を習得すれば、色紙や鉛筆を束ねる白い紙の上の数字は、「模様」ではなく10枚・10本という「数」を表していることに気づくはずです。その見方・考え方を導入できれば、問題2以降の問題文がわかれば自分で解くことができるのではないでしょうか。

さらに、写真2に示される問題10は、そもそも図の示し方がおかしいことにも気づかされます。170枚ある色紙から90枚を使うのなら、このプリントの薄黄緑色の背景の長方形は、90枚の色紙が載っている矢印の先頭にある黄色の色紙のところまで広がっていなくてはならないはずです。

こうした気づきは、外国につながりをもつ子どもの学習の課題は日本語学習にある、という前提に縛られず、その子どもの学びのつまずきがどこにあるのかを探る過程で生まれてきます。そして、その知見は、日本語を母語とする子どもにも役立つ、単元の学習に必要な「概念」の導入と育て方という教育実践につながっていくと思います。このようにして考えると、日本語に課題を抱える子どもたちへの教育実践では、学習のつまずきが浮き彫りになり、どこでどのような見方・考え方へのサポートが必要なのかを再考するための「種」が多く埋め込まれていることに気づきます。その種を育てることが、「外国につながる子どもがいるからこそ」生み出せる、子どものつまずきに対応する教育実践につながっていくのではないでしょうか。