コラム

世代を繋ぐカンボジア人1.5世-ライフサイクルの視座から

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濱野 敏子

カンボジア人1.5世の背景
 1975年、アメリカの船によって救助されたボートピープル1が千葉港に到着し、世間を驚かせました。それまで対岸の出来事と思っていたインドシナ半島から脱出してきた人達が目の前に現れ、入れてくれ、助けてくれと声をあげているのです。日本政府は一時的な保護や他国への送還といった対応をしましたが、国際社会から批判が集まり、ついに1981年の難民条約の批准2 に至り、インドシナ難民の正式な受け入れを決めました。そして、当時海外の難民キャンプに滞在していた人々の定住を前提に迎え入れたのです。この難民条約の批准は在日外国人の法的権利の保障や社会福祉制度の適用などを規定し、外国人政策の大きな転換点になったと言われています(田中、2013)。このような中で親に連れられ、あるいは呼び寄せられて来日し、日本の学校教育を受け、子どもから青年へと成長し、そして成人となり今や自分の家族をもち、日本の地域社会の一員として活躍している人が、これから紹介するカンボジア人1.5世3 (以下、1.5世)たちです。

1.5世の生活世界
 カンボジア語を母語とし、カンボジアの文化や社会規範を身につけた上で日本に移住してきた1.5世たちは、あらためて日本の言語と文化を学び直すことになります。この二つの言語と二つの文化の挟間に身を置くことは、1.5世たちの自己形成にとって、そして人生において重要な意味を持つことになります。
 Aさんはタイの難民キャンプで生まれ、1989年8歳の時に家族とともに成田空港に降り立ちました。日本への旅立ちは、「平和で、安全で、自由に勉強ができて、・・・」と希望に溢れていました。しかし、現実は学校に編入しても言葉がわからず、授業についていけず、友達もできず、ただ息をしているだけのような日々だったのです。学校の門をくぐることができず、そばの神社で弟と一緒に過ごしたこともありました。ある日、学校からの運動会のお知らせを家に持って帰り親に見せました。しかし、親はその意味がわからず、当日姿を見せず、用意すべきお弁当もなく居たたまれない思いをしたといいます。運動会が家族ぐるみの一大イベントという習慣を知らないカンボジア人にとって、言葉だけでなく文化のギャップも日常生活の重要な障害となります。さらには進学や就職、そしてアイデンティティの揺らぎといった問題に次々と直面したAさんは、周囲の多様な他者との関わりの中で、励まされ、支えられ、時には対立し、傷つけられながら、これらの試練を乗り越えてきました。これはAさんの、そして多くの1.5世の生きられた経験です。
 1.5世を取り巻く緊張にはらんだ状況はさまざまな不利益をもたらしますが、一方で貴重な学びの宝庫ともなります。問題の処方箋をあらかじめ持っていない1.5世は、日々直面する出来事に対して自分で一から考え、答えを出し、行動しなければなりません。その試行錯誤の繰り返しは、生きる知恵となります。Aさんは、「カンボジア人であることが嫌だった時もありましたが、今はカンボジアというルーツを持つことの豊かさを感じています。子どもたちにはそれぞれの良さを伝えていきたいです」と語ります。経験をもとにして得た知は身体に深く浸透し、持続し、その意味は醸成されていきます。そして、個人を超えて周囲の他者に、次世代に伝えられ、新しい経験として生成されていきます。これを、経験の交換能力と言います(ベンヤミン、1996)。

1.5世の経験の継承
 
2022年10月に外国にルーツを持つ人の日本語プレゼンテーション・コンテスト4 が行われました。この会に参加したカンボジア人チームの発表タイトルは、「子どもたちの未来のために私たちが今できること -- 子どもたちに教育を継続する機会を与え支援する」でした。優勝の挨拶でチームメンバーのBさんは、「私たちが直面した困難な経験を子どもたちにはさせたくない、そのために私たちは行動していきます」と述べました。  
 Bさんは1982年にカンボジアで生まれ、定住していた父親の呼び寄せによって13歳の時に来日しました。カンボジアでは成績優秀だったBさんですが、日本では最低ラインの学業成績に落ち(言葉の問題)、一気に自信を失います。そのような時に、両親は自分の子供時代には銃声が鳴り響く中で授業を受けたこと、そして安全な環境の中で学校に通えることがどれほど貴重なことかという自身の経験と教訓を語ります。Bさん自身も自ら動き出し、友人の紹介で外国人の子どものための無料の学習教室に毎晩通って勉強しました。そして、教師や仲間の励ましを受けて、高校から大学へと進学しました。Bさんは、教育が仕事や人生の選択肢を広げ、明日への希望を生み出すことを身をもって学びました。しかし、未だに学業不振ゆえに、あるいは経済的理由や周囲の偏見ゆえに進学を諦めるカンボジア人の子どもが多くいる現実があります。Bさんは、子どもたちを取り巻く環境の複雑さを知り、また他者に励まされた経験を持つからこそ、今度は自分が子どもたちを支援する番であると考えています。そして、同じ思いを持つ1.5世たちとともにその使命を実践していくという宣言が上記のプレゼンテーションでした。
 Bさんは1.5世にとってのもう一つの大切な課題として、親世代のことを取り上げます。「親たちは難民として来て、頑張って仕事をして、今定年を迎える年齢になっています。家族のためにやれることは全部やってきた後で、すごく寂しくなるだろうと思います」 親たちがこの先も生きがいを感じて過ごすために、自分たちに何ができるかと考えています。そしてある一つの具体的なアイデアを持っています。それは、家庭で作られているカンボジア料理を教えあう教室です。それぞれの家庭では、子どもの嗜好に合わせ、日本の素材を代用し、独自のカンボジア料理が発展しています。「日本人のお婿さんやお嫁さんにも喜んでもらえるし、お母さんたちも今まで自分がやってきたことは無駄じゃなかったと思えるし、大人も子ども楽しめる場になるのではないかと」 そこでは自由に話し、憩うことができます。そして何より大切なことは、参加する人々が一方的に楽しませてもらうのではなく、これまで培ってきた技術や知識を活用し、世界に開かれていくことです。これこそが、定年を迎えた親が生きがいを感じる源泉となるのではないでしょうか。

1.5世は世代を繋ぐ蝶番
 AさんとBさんの事例から見えてくることは、1.5世たちが二つの世代を繋ぐ蝶番として重要な役割を果たしていることです。1.5世は「私たちは日本に根付き、世代を紡いで生きています」と語ります。その意味は、カンボジア人であることをやめて日本人になることでも、日本の文化に同一化することでもありません。日本に軸足をおくことで、もう一方の足を自由に移動させ、それによって国籍や民族を超えた新たな領域で独自の根=ルーツを見出し、歴史を紡ぎ出すことを示唆しているのではないでしょうか。このような1.5世のダイナミックな生き方が地域社会にも伝播し、新しい文化の萌芽となり、個人のライフサイクルにとどまらず時代のライフサイクルにもなっていくことを願います。

引用・参考文献  
 田中宏(2013)『在日外国人 第三版 -法の壁、心の溝』、岩波書店:161-186
 ヴォルター・ベンヤミン 浅井健二郎訳(1933=1996)「経験と貧困」『エッセイの思想』浅井健二郎監訳、筑摩書房:371−386


1.1975年5月12日、米国船に救助されたベトナム人9人が千葉港に上陸、同年中には合計9隻126人が日本に到着した。(出典:「インドシナ難民と我が国の対応」内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局)
2.日本の難民条約加入は「外圧」によると言われている。しかしそれだけではなく、国内政治過程においては、能動的に難民保護を進めようとする動きが見られたという論考がある(土田千愛、2020「難民条約加入前の難民保護に対する日本政府のアイディアの変容」Migration Policy Review Vol.12:112―128)。
3.アメリカの移民学者ルンバウトは、子ども時代に移住した人の生活経験は、成人になって移住した1世とも移住先で生まれた2世とも異なるために、独自の分析が必要であることから、1.5世の世代カテゴリーを提唱した(Rambaut、R(1991) The Agony of Exile:A Study of the Migration and Adaptation of Indochinese Refugee Adult and Children. Refugee Children Theory , Research, and Service. The Johns Hopkins University Press : 61)。本稿では、幼児期以降に来日し小中学校での教育を受けた者を移民1.5世としている。
4.第2回日本語プレゼンテーション・コンテスト『私たちの夢(こんな未来をつくりたい)』は、定住難民コミュニティとの親睦、相互理解、日本社会への参画促進を目的とし、2022年10月2日、アジア福祉教育財団の主催により東京で行われた。今回は、ベトナム、カンボジア、ミャンマーから6チームが出場した。(https://www.fweap.or.jp/2nd-japanese-presentation-contest/ 2023年4月アクセス)



執筆者プロフィール 
濱野 敏子
薬科大学卒業後、栄養学修士を取得し、国際保健協力活動を本格的に開始する。タイ国境のカンボジア難民キャンプでのボランティア活動を皮切りに、アジアやアフリカの国々でユニセフの母子保健・栄養担当官やJ I C Aのジェンダー主流化専門家として従事する。その後、立教大学の社会学修士課程を修了し、現在は東京経済大学のコミュニケーション学研究科博士後期課程に在籍中。

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