コラム

第54回 オーストラリアの移民統合政策


山脇 啓造

 筆者は、20249月から20253月までの6か月間、オーストラリア・ブリスベン市にあるクイーンズランド大学に籍を置き、オーストラリアの移民統合政策の研究に取り組みました。オーストラリアは連邦制国家であり、連邦政府、州政府、地方自治体からなる三層構造の政治制度を採っています。そこで、以下、三つのレベルごとに、オーストラリアの移民統合政策の現状について整理し、最後に日本への示唆を述べたいと思います。

1.連邦政府(Federal Government)
(1)白豪主義から多文化主義へ
 オーストラリアは多文化主義を掲げる移民国家の代表例として、カナダと共に国際的に高い評価を得ている国です。オーストラリアの多文化主義は、白豪主義と呼ばれるアジア系移民を制限する政策から転換し、形成された歴史を持ちます。白豪主義は1880年代に始まり、1901年の連邦成立後、直ちに制定された移民制限法によって確立されました。
 しかし、第二次世界大戦後は労働力不足や経済発展の必要性、アジア諸国の台頭、そして人権尊重や反人種差別の国際的潮流が強まる中で、1958年に移民法が制定され、ビザ制度が導入されると同時に、移民制限法は廃止されました。そして、1973年に当時の移民大臣アル・グラスビーが「未来のための多文化社会(A multi-cultural society for the future)」と題した政策文書を発表し、ウィットラム労働党政権は公式に白豪主義を撤廃しました。1975年には人種差別禁止法を制定し、その制定記念式典で、与野党党首が多文化主義を支持する演説を行い、多文化主義が国家方針として宣言されました。

(2)多文化主義の黄金期
 多文化主義は1970年代後半以降、本格的に制度として整備されていきました。1975年に始まったフレーザー自由党政権のもと、1978年のガルバリー報告書は平等な機会とアクセス、文化の維持と異文化理解、移民のニーズへの対応、移民との対話と自立支援といった原則を掲げ、多文化主義は公式な国家政策として定着し、多文化放送局や多文化教育、多言語サポートなど文化的多様性を尊重する政策が推進されました。
 多文化放送局はSpecial Broadcasting ServiceSBS)と呼ばれ、1978年に設立された公共放送局で、1980年からテレビ放送を開始しました。SBSは、多言語・多文化のテレビやラジオ番組を提供し、移民や先住民を含むオーストラリア社会の多様性を反映することを目指しました。また、1979年に連邦多文化教育プログラムが導入され、学校でのコミュニティ言語教育が重視され、移民の子どもが自らの文化やアイデンティティを維持することや英語話者を含む全ての子どもたちが異文化理解を深めることを目指しました。さらに、1973年設立の翻訳通訳サービス(Translating and Interpreting Service, TIS)と1977年設立の全国翻訳通訳認定機構(National Accreditation Authority for Translators and Interpreters, NAATI)の意義を政策的に位置付け、その役割を強化しました。
 1989年にホーク労働党政権のもと策定された「多文化オーストラリアのための国家アジェンダ(National Agenda for a Multicultural Australia)」によって、多文化主義の定義と三つの原則、八つの目標が示されました。多文化主義は「個人および社会全体の利益のために、文化的多様性がもたらす結果を管理するための政策」と定義され、文化的アイデンティティ(cultural identity)、社会的正義(social justice)、経済的効率性(economic efficiency)の三原則が示されました。

(3)多文化主義の変容
 1991年に成立したキーティング労働党政権は、多文化主義を支持しつつも、経済合理性の観点から関連予算を縮小しました。続くハワード自由党政権(1996-2007年)は多文化主義に批判的な立場をとり、「共有された国民アイデンティティ(shared national identity)」や「調和(harmony)」を唱え、文化的多様性よりも共通の価値観や忠誠心を重視しました。多文化政策を所管する多文化局(Office of Multicultural Affairs)を廃止し、関連予算も大幅に削減しました。1999年には、国際人種差別撤廃デー(321日)に合わせて「調和の日(Harmony Day)」が設けられました。また、2000年代になると、安全保障の観点も強調されるようになりました。ハワード政権以後も、労働党政権期(2007-2013年)には多文化主義が再評価され、自由党政権期(2013-2022年)には多文化主義が後退したといえます。
 この間、歴代政権によって「新世紀のオーストラリア多文化主義:包摂性に向けて(Australian Multiculturalism for a New Century: Towards Inclusiveness)」(1999年)、「多文化オーストラリアのための新たなアジェンダ(A New Agenda for Multicultural Australia)」(1999年)、「多文化オーストラリア:多様性の中の統一(Multicultural Australia: United in Diversity)」(2003年)、「オーストラリアの人々:オーストラリアの多文化政策(The People of Australia: Australia's Multicultural Policy)」(2011)、「多文化オーストラリア:団結し、強く、成功する(Multicultural Australia: United, Strong, Successful)」(2017)といった多文化主義に関わる政策文書が作成されました。

(4)多文化主義の現在
 2022年に始まったアルバジーニー現労働党政権のもとで、移民政策に関する二つの重要な文書が作成されました。一つは202312月に公表された「移民戦略(Migration Strategy)」です。この戦略は、経済成長を支える高度人材の確保、労働者の搾取防止、国際教育の質向上、地域社会の強化を目的として、技能ビザ制度の改革や学生ビザの審査強化、地域ビザの優先処理など、移民制度の持続可能性と公平性を確保することを目指しています。この戦略のもとになったのが、20234月に公表された「移民制度レビュー(Review of Migration System)」でした。このレビューは、政府の諮問に基づき、学識者、業界団体、労組、州政府などの意見を集約した報告書で、移民制度が非効率的で、不公平と見なされ、複雑で利用しにくい、そして現在や将来のニーズに対応していないことを指摘しました。
 もう一つが「公正を目指して:すべての人のための多文化オーストラリア(Towards Fairnessa multicultural Australia for all)と題した多文化フレームワークレビュー(Multicultural Framework Review)で、20247月に公開されました。1973年のグラスビー文書以来の50年間の多文化主義政策を振り返る包括的な文書です。レビューは、オーストラリアの多文化主義を長年リードしてきた3名(うち2名は移民背景を持つ)からなるパネルによって実施され、全国各地で200回以上の対面・オンラインの協議を行い、1,430人以上の個人と750以上の団体からの意見を収集しました。このレビューには、書面、音声、動画といった多様な形式で796件の意見提出があり、うち126件は英語以外の言語で提出されました。
 レビューの冒頭には、「多文化オーストラリアのための国家アジェンダ」(1989年)による多文化主義の定義を採用したことが記されています。そして、首相と野党党首が議会で多文化主義への支持を表明すること、321日を「人種差別撤廃国際デー」として祝うことに加え、文化的多様性を祝うための国家計画の策定、多文化委員会と多文化・移民・市民権省の新設、新たな国家言語政策の構築と経済的繁栄のための言語的多様性の活用、言語サービス(通訳・翻訳)の質と持続可能性の確保、TISNAATIへの資金強化、多文化助成金の効率性と有効性の改善、公共機関における多様性と包摂の国家基準の推進、多文化メディアへの支援拡充、先住民族の歴史に関する理解増進など29の提言が含まれています。

(5)多文化主義の課題
 実は、オーストラリアでも多文化主義に反対する勢力が一定の支持を得てきた現実もあります。ポーリン・ハンソン率いるワンネーション党は反多文化主義を掲げ、1990年代後半に台頭しました。その後、衰退しましたが、2010年代後半に復活し、現在に至っています。また、2019年にニュージーランドで起きたクライストチャーチ銃乱射事件の犯人がオーストラリア出身だったことも、多文化主義の課題を浮き彫りにしました。
 また、オーストラリアの多文化主義には構造的な課題も存在します。それは先住民族との関係です。多文化主義は移民の文化的多様性を尊重する一方で、先住民族の権利や文化の位置づけについては別の枠組みで扱われてきた歴史があり、両者の関係は必ずしも調和的ではありません。多文化フレームワークレビューでも先住民族に関する提言がありますが、これは逆に言えば従来の多文化主義が先住民族の課題を十分に考慮してこなかったことの現れであるともいえるでしょう。

2.州政府(State Government
 オーストラリアの多文化主義において、州政府は重要な役割を果たしてきました。連邦制国家であるオーストラリアでは、教育や医療、警察など多くの行政分野が州政府の管轄となっており、多文化主義政策の実施は州政府の方針に大きく左右されます。特にニューサウスウェルズ(NSW)州とビクトリア州では、2000年代に多文化主義の原則や推進組織を整備し、州の全ての行政機関が多文化主義政策を推進する体制を構築しました。両政府は、競うようにして、オーストラリアの多文化主義をリードしてきたと言ってよいでしょう。
 一方、州間・地方間の格差も存在します。NSW州やビクトリア州、南オーストラリア州の特に大都市圏に比べると、他の州や地方の農村部では取り組みが遅れています。特に教育や医療へのアクセスや就業機会の格差の課題が生じています。

(1)NSW州政府
 NSW州の人口は約810万人で、オーストラリアで最も多く、海外生まれの住民の割合は約29%です(2021年国勢調査、以下同様)。NSW州では1977年に反差別法を制定しています。1978年に民族問題担当大臣(Minister for Ethnic Affairs)を、1979年に民族問題委員会(Ethnic Affairs Commission, EAC)を置き、多文化主義の推進体制が生まれました。
 2000年にコミュニティ関係委員会及び多文化主義の原則に関する法律(Community Relations Commission and Principles of Multiculturalism Act 2000)が制定され、多文化主義を明文化するとともに、EACの後継機関として多文化NSWのためのコミュニティ関係委員会(Community Relations Commission for a Multicultural NSW, CRC)が設置されました。その後、2014年に同法が多文化NSW法(Multicultural NSW Act 2000)に改称され、CRC Multicultural NSWへと改組され、最高経営責任者(CEO)も置かれ、現在に至っています。

(2)ビクトリア州政府
 ビクトリア州の人口は約650万人で、オーストラリアで2番目に多く、海外生まれの住民の割合は約28%です。ビクトリア州では、1983年に民族問題委員会(Ethnic Affairs Commission)が設置されました。その後、1996年に委員会は多文化委員会(Victorian Multicultural Commission, VMC)に改組されました。2001年には人種宗教寛容法(Racial and Religious Tolerance Act)が制定され、人種や宗教に基づく中傷や差別を禁止しました。
 2004年には多文化主義政策の基本法である多文化ビクトリア法(Multicultural Victoria Act)が制定され、2011年に改正され、現在に至っています。この法律により、多文化主義の原則が明文化され、州政府の全ての部門に多文化主義の実践と報告が義務付けられています。
 現在は、VMCが多文化主義政策の推進と監督を担い、州政府の各機関と連携しながら多様なコミュニティの声を政策に反映しています。VMC12名の委員で構成され、地域諮問評議会(Regional Advisory Councils)を通じて現場の課題把握や支援も行っています。

(3) 南オーストラリア州政府
 南オーストラリア州の人口は約180万人で、海外生まれの住民の割合は約25%です。南オーストラリア州では、1976年にオーストラリア初の民族問題担当大臣(Minister for Ethnic Affairs)が設置され、1980年には民族問題委員会(South Australian Ethnic Affairs Commission)が設立されました。その後、同委員会は1993年に多文化民族問題委員会(South Australian Multicultural and Ethnic Affairs Commission, SAMEAC)に引き継がれました。
 南オーストラリア州政府は2021年に南オーストラリア多文化法(South Australian Multicultural Act)を制定しました。同法の特徴は、多文化主義と同時にインターカルチュラリズムを推進することを明記したことです。また、同時に制定された多文化憲章に基づき、州政府の各部門や公共機関が政策立案やサービス提供を行うことが義務付けられました。SAMEACは多文化委員会(South Australian Multicultural Commission, SAMC)に引き継がれました。

3.地方自治体(Local Government
 オーストラリアでは、連邦憲法に地方自治体(日本の基礎自治体に相当)に関する規定がなく、各州政府の法律に基づいて設置され、州政府の監督・統制下にあります。そのため、制度上は自治の範囲が限定的ですが、実際には地域サービスの提供において重要な役割を果たしています。そうした自治体の移民包摂をめざしたネットワークが二つあります。

(1)二つのネットワーク
 移民包摂に取り組む自治体の二つのネットワークとは、ウェルカミング・シティーズ(Welcoming Cities)とインターカルチュラル・シティーズ(Intercultural Cities)です。どちらも、移民包摂に関する情報提供や成功事例の共有、専門家による政策評価、優良都市の認証制度といった具体的な枠組みを提供しています。
 ウェルカミング・シティーズは、2013年にアメリカのウェルカミング・アメリカ(Welcoming America)というNGO2009年設立)のイニシアティブで始まった都市ネットワークです。このネットワークの影響を受けて、オーストラリアでも2016年にウェルカミング・シティーズがウェルカム・トゥー・オーストラリア(Welcome to Australia)というNGO2011年設立、2018年にウェルカミング・オーストラリアWelcoming Australiaと改称)のイニシアティブによって始まりました。現在、94自治体が加盟しており、これはオーストラリアの人口の約 53% をカバーしているといいます。また、アメリカやオーストラリアのウェルカミング・シティーズはウェルカミング・インターナショナル(Welcoming International)という国際ネットワークのメンバーでもあります。
 一方、インターカルチュラル・シティーズは欧州評議会のイニシアティブによって2008年に始まりました。当初、欧州都市のネットワークでしたが、次第に欧州域外にも広がり、北米やアジア太平洋の都市も参加しています。オーストラリアではNSW州のバララット市が2017年に加入し、現在、同州メルトン市、南オーストラリア州ソルズベリー市をあわせた3都市が参加しています。ちなみに東アジアでは、日本から浜松市、韓国から3都市が参加しています。

(2)両者の比較
 両者を比較すると、参加都市数で大きな格差が生じていることがわかります。それは主に二つの理由が考えられます。一つは財政力の差です。ウェルカミング・シティーズは、メルボルンを拠点とするスキャンロン財団から大きな財政支援を得ています。それに対して、インターカルチュラル・シティーズは、そういった後ろ盾がなく、独自財源もない中で運営されています。もう一つは、インターカルチュラル・シティーズが提唱するインターカルチュラリズム(interculturalism)という理念の問題です。2000年代以降、多文化主義に対する否定的評価が広がった欧州と異なり、オーストラリアでは、多文化主義は依然、国家の基本理念と言ってよいでしょう。そうした中でインターカルチュラリズムを普及するのは容易ではありません。インターカルチュラル・シティーズには欧州評議会という事務局があり、会員都市への様々な支援は存在しますが、物理的距離がある中で、オーストラリアの自治体にとっては、なかなか加入のメリットを見出しにくいと思われます。それだけに、前述のように南オーストラリア州政府が多文化主義法にインターカルチュラリズムの規定を盛り込んだことは注目に値します。

4.日本への示唆
 最後に、オーストラリアに半年間滞在しながら、筆者が考えたオーストラリアの移民統合政策が日本に示唆することを三点挙げたいと思います。

(1)多文化主義の制度化と明確な政策枠組み
 オーストラリアは、カナダと異なり、連邦政府には多文化主義法がありませんが、1970年代から1980年代にかけて、多文化主義を国家理念として政策文書で明確に位置付け、多文化放送局や多文化教育、多言語サポート体制を整備しました。その後、政権ごとに多文化主義の見直しが行われ、経済合理性や安全保障の観点が重視されるようになり、関連予算の縮小とともに連邦政府の存在感は後退し、担当省庁も変わってきましたが、多文化主義という基本理念は維持されています。その最新の見直し結果が前述の多文化フレームワークレビューです。一方、前述のように州政府は2000年代以降、多文化主義法を制定し、その存在感を増し、連邦・州・地方自治体の各レベルで具体的な推進体制を整えてきました。
 日本も多文化共生の理念を明文化し、法的・制度的な裏付けを強化することで、国と自治体が連携した多文化共生社会の構築につなげることができるでしょう。また、オーストラリアのように定期的に外国人政策の見直しを行うことが望ましいでしょう。例えば、入管庁による受入環境整備交付金事業や文科省による地域日本語教育の体制整備事業を見直しすべき時期と思われます。

(2)多文化社会を支える教育とメディア
 オーストラリアでは、多文化主義が導入された当初から、教育とメディアが重要な役割を果たしてきました。学校では移民のための英語教育と並行して、移民の母語や母文化の維持・継承を支援する多言語・多文化教育が行われ、異文化理解や多様性の尊重を子どもたちに育んできました。また、教員研修や教材開発にも多文化的視点が組み込まれています。成人教育や地域における生涯学習の機会も重視されており、職業訓練校での支援や図書館・コミュニティセンターを拠点とした多文化活動が移民の社会参加と地域とのつながりを促進してきました。
 また、多言語放送局の開設によって、移民コミュニティに多様な言語で情報発信し、社会参加を後押しするとともに、移民の言語や文化、アイデンティティを尊重する環境づくりに取り組んできました。学校や家庭そして地域で多文化社会を支えてきたとも言えます。
 日本の学校では、外国人児童生徒教育として、もっぱら日本語教育の充実に力が注がれてきました。今後は、外国につながる児童生徒の母語を含めた言葉の発達に着目するとともに、学校や地域で多文化共生の教育や啓発を推進し、学校と家庭、地域、さらにメディアを通じて、多文化共生の理念を広く社会に普及する努力が必要だと思われます。

(3)移民受け入れの計画性と社会的合意形成
 オーストラリアは、移民の受け入れ規模や分野を労働市場データ等に基づき毎年計画し、数値目標を示し、国民の理解と合意を得る努力を重ねてきました。オーストラリアでも近年は、物価高騰や住宅不足の中での反移民感情の高まりや地方部での移民受け入れ体制の不備などが顕在化し、社会的合意の維持には継続的な努力が必要な状況です。
 日本においても地域差は重要な課題です。都市部では外国人材への需要が高く、支援体制が比較的整っている一方で、地方部では人手不足が深刻であるにも関わらず、支援体制が十分でないことが多く、外国人住民の孤立や地域社会との摩擦が生じやすい状況にあります。また、地方部では外国人との接触機会が限られるため、偏見や不安が生まれやすいという側面もあります。
 日本も、2027年度に始まる育成就労制度や特定技能制度による外国人労働者受け入れの目的や背景を丁寧に説明し、その経済的・社会的効果をデータで示すことで、社会の合意形成を図ることが重要と思われます。これは出入国政策にもかかわる課題ですが、移民統合政策を成功させるための前提条件ともいえるでしょう。特にコロナ禍以降、技能実習生の失踪や外国人による犯罪への懸念、社会保障制度への影響、地域社会における軋轢などから、外国人の存在に不安を感じる国民も増えていると思われます。こうした不安の背景には、外国人受け入れの目的や将来像が不明確であること、情報不足による誤解や偏見なども影響していると考えられます。
 日本で暮らす外国人住民は急増しており、近年の増加ペースが続くと、今後1015年で外国人が1,000万人に達し、総人口の1割を占める可能性もあります。今こそ、長期的視点に立った政策形成と社会的合意が不可欠といえます。

 オーストラリアの経験は多文化主義の可能性と同時に限界も示しています。制度的枠組みの整備は重要ですが、それだけでは移民統合は実現できず、経済状況、地域事情、歴史背景、国民感情など複合的な要因への対応が不可欠であることがわかります。日本はオーストラリアの経験に学ぶとともに、日本の文脈に適した移民統合政策(多文化共生政策)を構築する必要があります。

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